かつて下関市から独立しようとしたほど繁栄した彦島も今や右肩下がりに衰退、そこかしこに廃屋・空き地が目立つようになりました。
今回はそんな彦島を象徴する超穴場スポットを二人で歩いてみましたよ👟
目的地はここ、彦島田の首町の金ノ弦岬(かねのつるみさき)灯台です。最初は灯台ではなく、関門海峡の岩礁の上に航海の道標のために設置された礁標(俎礁標、まないたしょうひょう)でしたが、1920年(大正2年)に現在地に移築されました。初点灯は1871年(明治3年)。現在はその役目を終えています。
関門霊園下から見えるだろうと思って行ってみると、うっ、先端部が僅かに窺える程度(・・;)
離れれば見えるかも、と思ってズンズン西奥に進みます。春の関門海峡が眩しい✨
その途中にあるのがコレ、大山の鼻検潮所。刻々と変化する潮流の情報を船舶に無線送信する設備です📡年季が入ってます。錆びてます。現役なのでしょうか?
最奥は採石場で立ち入り禁止🚧その手前にこういう廃墟が忽然と現れます。
これが知る人ぞ知る(知らんだろっ🤣)「彦島パークランド」跡です。彦島塩浜町。
1970(昭和45)年頃オープン。海側には海水を利用したプール3つ、山側には小さな遊園地を備え、冬はプールをローラースケート場として営業していました。道路は未舗装の砂利道、奥は採石場、人っ子一人いない殺伐とした場所ですよ。ただし眺望は抜群です。人身事故やプールの破損のため、僅か2年で閉鎖した幻の施設です。写真の半円筒形の設備はプールの監視塔の土台でしょう。
ここがメインプール跡でしょうね。中央の低い富士山型の滑り台が何とも言えません。遊園地だった山側はお墓になっています🪦
風光りふと蘇る子らの歓声(こえ) 猫凡
オープン当初は大勢の人で賑わったのでしょう。
何と、妻の子供時代の絵日記に、ここでの一日が記されていました🤩妻の許可を得て抜粋します。
「きっぷをかって、なかへはいりました。はじめはふかいとおもいました。だけど◯◯ちゃんが一ばんにはいると、あさかったので、あんしんしました。そしてママにおよぎをおしえてもらいました。うきでひとりでおよげるようになりました。ママが、さむいからもうかえろうねといいました。わたしはまだおよぎたいとおもったから、いやといいました。だけどがまんしてかえりました」
可愛いなぁ💕(夫バカ😆)
こんな思い出がこの場所で作られたんだなぁ。何だか感慨深い‥
こちらは少し深めのプールかな?今はメダカが群れる水溜まりと化していました。
廃墟でセルフィー🤳
そうそう、灯台でしたね😅
パークランド跡からはこの程度見えました。対岸は北九州の門司です。
NikonクールピクスP1000の威力!クッキリ見えます。ただし上の方だけ🥲全体像を見たいなぁ。
戻りましょう。ど根性カラスザンショウがあちこちに。
廃墟周辺の植物。ハマウドにカタバミにスイセン。
これが言えるってことはねこたんぽもそれほど馬鹿じゃありません😏
関門だなぁ🌊⛴
灯台の全景を写真に収めたくて、翌日、灯台真上の駐車場に行ってみると、こんな案内板が!整備されてるじゃん😙と思いきや‥
奥に進むとハマウドの群生した妖しげな場所‥この辺に灯台への下り階段があるはずなんだけど‥
何じゃこりゃ!
立ち入り禁止やないか〜いっo(`ω´ )o!
どんだけ厳重にロックしてんねん😤
見ることも出来ないような文化財に誰が関心を持つだろう?関心を持たれないものは廃れゆくしかないと思うのだが。下関市の担当の方、御一考下さいませ
仕方がないので柵越しに📸
ちなみに階段はこんなでした。
沖の浮標も📸関門の激流が分かりますね🌀
ここでもセルフィー🤳💕
結局灯台の全景は見られませんでしたが、鳥の声を聴き、潮の流れを見ながら、時代の変遷に思い致す、楽しいプチデートでした👫🏻
今回もお付き合い下さってありがとうございました😊
お二人の仲睦まじいお姿素敵ですね❤
そして、かつて私も下関市民(叔父は彦島在住)なのに、穴場スポットは全く知りませんでした。
彦島出身の方が(ヒコットランド)とよく言われてたのを思い出しましたよ。