季語は四季折々の風情を愛でる日本文化の象徴です。季語に含められる動植物を中心に、写真付きの俳句歳時記風にまとめた「季語シリーズ」、今回は春の第十一回です。猫凡という俳号で自作の句を入れています。
【オキザリス】
カタバミの仲間の総称で、クローバーに似た葉に、透け感のあるラッパ型の小花を付けます。
野に埋る地雷のいくつオキザリス 島青櫻
限りなき時空に向かいオキザリス 猫凡
【乙女椿】
淡いピンクで綺麗な球形の愛らしい椿。江戸時代末期に作出されたとされ、「本草図譜」に掲載。英語ではPink Perfection。ただしどんな品種でもパーフェクトということは無いようで、花が盛りを過ぎてもなかなか落下せず褐色に変色したまま枝に残ってしまいます。
風吹くや隠れ顔なる乙女椿 楠本憲吉
ロシアの娘乙女椿の無惨さよ 猫凡
※自句自解:ロシアあたりの少女はおそろしく美しくて、同じ人間なのかしらん?と思うほど。フィギュアスケートだと顔で加点されるのではと疑いたくなります。しかし、世の中公平に出来ているもので、東欧女性は総じて見る間に肥え太り、皺も増え、かつての面影今何処となる傾向があるように思います(あくまでも個人の感想です)。可憐なる乙女椿の足元に茶色くなった花が敷き詰められているのを見て、そんなふうに思った次第。
【春の日】
のどかな春の一日のことです。
春の日や暮れても見ゆる東山 小林一茶
春一日眺め暮らすや木瘤茸 猫凡
【いぬふぐり】
果実の形から犬陰嚢と名付けられましたが、ネモフィラにも劣らぬ爽やかな美花です。
瑠璃てふは眼を洗ふ色犬ふぐり 村上杏史
陰りなどおよそ無縁のいぬふぐり 猫凡
【鶯神楽(うぐいすかぐら)の花】
スイカズラの仲間で、桃色の小さな花、赤い実が愛らしく、庭木や盆栽として育てられます。歳時記未収載ながら、春の季語、鶯が含まれていますから当然春の季語とすべきでしょう。心温めてくれる花色ですし。
鶯神楽花ほのぼのと明日香村 庄司あきら
この花が囀りしかと鶯神楽 猫凡
【梅】
春真っ先に咲くことから花の兄(はなのえ)とも。万葉集で歌われた花では最多です。
白梅に藁屋の飛んで来し如く 大串章
※ねこ註:例によって「増殖する俳句歳時記」の解説が秀逸なので、転載させていただきます。
『藁屋の庭に満開の白梅。典型的な昔ながらの早春風景だ。吟行などでこの風景を目の前にして、さて、どんな句が作れるか。けっこう難しい。そこへいくとさすがにプロは違うなあと、掲句にうなる人は多いのではなかろうか。うなると同時に、思わずにやりともさせられてしまう。句が、かの菅原道真の「飛梅」の歌「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」を踏まえているからだ。この歌を知った梅の木が、道真の配所・筑紫まで一夜にして飛んでいった話は有名だ。いまでも「飛梅」として、福岡は太宰府天満宮に鎮座している。菅原さんが梅を飛ばしたのに対して、大串さんは藁屋を飛ばしてしまった。梅の木が飛ぶのだったら、藁屋だって飛ぶのだ。そう着想した大串さんの、春のようにおおらかな心を味わいたい』
海原の鴎の群れか晴れの梅 猫凡
【ムスカリ】
地中海沿岸原産の小型球根植物。小さな葡萄の房のような花は誰からも愛されます。
ムスカリや薄き詩集を膝に置く 木村洋子
ムスカリをよそに子犬と子ら走る 猫凡
【更紗木瓜(さらさぼけ)】
梅の香気、桜の儚さ、桃の幸福、連翹の明るさ、そして木瓜の柔らかな優しさ。春の花にもそれぞれの趣が。紅白の混じった更紗木瓜は単色のものよりさらに優しい印象です。
降りつつむ雨の明るし更紗木瓜 水原秋櫻子
吾妹子のそっと紅さす更紗木瓜 猫凡
【雪柳】
清楚な白い小花を細い枝一杯に付け、雪が積もったように見えます。我が家の小品盆栽では花付きがまばらですが、一つ一つの花も味わい深いものです。小米花とも。
こぼれまたこぼれさそひて小米花 鷹羽狩行
雪柳とるに足りないものは無し 猫凡
【河原鶸(かわらひわ/かはらひは)】
雀かな?でも黄色っぽい、と思ったらこの鳥であることが多いです。町中の空き地で草のタネを啄んでいる姿をよく見かけます。
かはらひわ金の扇を隠し持つ 渡邊むく俳句ブログより(http:junobird2012.blog.fc2.com/)
かはらひわ草から草へかろく舞ひ 猫凡
【春の磯】
干満差が大きく、寒さ緩んだ春の海は磯遊びや潮干狩りに最適です。
春の海磯より神の径つづく 加藤国彦
春の磯性善説の証見る 猫凡
※自句自解:春の磯では日頃コワモテの男性も、子供の躾や家事に追われて険しい顔の主婦も、みな童心に帰って無邪気に戯れています。これが人間本来の姿なのだろうなと救われる気がするのです。
【雲丹・海栗・海胆(うに)】
ヒトデと同類の棘皮動物。私の住む下関市彦島は西山化石層では、春の干潮時、カラスが潮溜まりのムラサキウニを摘み上げ、裏返して賞味している姿が見られます。それを人間は指を咥えて眺めるだけ‥
海胆割つて潮の真青にすすぎ喰ふ 岸原清行
海栗喰らいけふも烏の高笑い 猫凡
【黒椿】
黒味を帯びた深い赤の椿の総称で、古典品種の墨染や、ニュージーランドで作出されたナイトライダーなどが含まれます。
千年の心つなぎて黒椿 稲畑汀子
黒椿負いきれぬ荷は降ろそうか 猫凡
反射せぬ光零るゞ黒椿 猫凡
黒椿Julien Sorelの後悔か 猫凡
※自句自解:Julien Sorelとは勿論スタンダールの「赤と黒」の主人公です。この椿の花色を見るといつもこの小説が思い浮かぶのです。野心に燃え、身分制度の不条理に憤るジュリアンは手段を選ばず突き進みますが、後悔を抱いて死んでゆくことになります。椿の俯いた姿と呼応しました。
【木五倍子(きぶし)の花】
半日陰を好む落葉低木で、花序は10cmにも達して垂れ下がります。多数の花序が簾のように下がると見事です。果実に含まれるタンニンが黒色染料の五倍子(ふし)の代用になるところから命名されました。
雨の日の木五倍子の花のうすみどり 鳥居みさを
一つきりのきぶしの花穂を汝が髪に 猫凡
【弥生尽】
三月の終わりです。ただそれだけですが、日本ではゆく春を惜しむ気持ちはもとより、別れと出会い、新たな生活への不安と期待といった感情までも滲ませることの出来る季語でしょう。
釣場藻にふたがれてあり弥生尽 寒川鼠骨
オフィスの気付けば広し弥生尽 猫凡
【苺の花】
苺ほど可愛らしい果物もないでしょう。昔は酸っぱかったので、練乳などかけて食べるのが大変な贅沢、特別な喜びでしたが、最近の品種は本当に甘いですね。山野に自生する草苺や蛇苺はちっとも甘くないですが郷愁を誘います。
惜しみなく日のふりそそぎ花苺 水原京子
草苺花と棘あり人も皆 猫凡
【連翹(れんぎょう)】
レンギョウ属の総称。彫刻家・詩人の高村光太郎が好んだ花と言われ、彼の命日4月2日は「連翹忌」と称されます(それも春の季語)。
雨風の連翹闇の中となる 橋本多佳子
連翹が光放つやとろとろと 猫凡
【豌豆の花】
野菜のエンドウの花が本来でしょうけれど、農家でもない町暮らしの身には矢筈豌豆(烏野豌豆)の方が遥かに身近で、春の訪れを感じさせるのです。
仮死の虫あたふたと這ふ花豌豆 足立原斗南郎
何一つよすが無き地に豌豆の花 猫凡
※自句自解:まず、この子らいったい何処から来たのか?と思いました。空き地にすぐ生えてきますよね。次に、蔓が支えを求めて手を伸ばしているように見えました。
縁のない地、支えのない蔓、から「よすが無き」と想起されて、今そんな境遇にある人々もこの草みたいに逞しく生きていってほしいなぁという呟きが句になったわけです。
【木の芽(このめ)】
「きのめ」と読むと主に山椒の芽を指しますが、「このめ」だと春に芽吹く樹木全てに使えます。木の芽時、木の芽雨、木の芽風、木の芽吹く、木の芽張る、と豊かな言語世界が広がります。
芽吹きつつ木は木の容思ひ出す 名村早智子
停滞の裏に成長木の芽吹く 猫凡
【柳の芽】
少し暖かくなった風に吹かれる柔らかな柳の芽。春の定義としても良さそうな。
ひとすぢの垂れしあはさの柳の芽 長谷川素逝
柳の芽ケルビムのごと神讃ふ 猫凡
※自句自解:ケルビム、ケルブとは聖書に出てくる天使の種類で、神のそばで仕えています。モーセの十戒などが収められた契約の箱の蓋には一対のケルビムが向かい合わせに据え付けられていました。朝日に照らされた柳の芽が微風にクルクル回っているのを見て、創造者を讃えるケルビムを想起したのです。
いかがでしたか?「季語シリーズ」は能う限り続けていきます。次回もお楽しみに。
オオイヌフグリの別名を使ってみました。
青き花 目に焼き付ける 幼子に
「星の瞳」と 願いを込めて
その花を
知らぬ者なし イヌフグリ
みんなで呼ぼうよ 「星の瞳」
上を向き 空の青色いただいて
ネモフィラに 負けじと光りし
その花は
知らぬ者なし イヌフグリ
みんなで呼ぼうよ 「星の瞳」
オソマツサマデシタ〜💦