ただの旅日記アルバムです
初日
函館市熱帯植物園
空港からホテルに向かう道中で函館熱帯植物園へ。
熱帯植物園と湯川温泉
熱帯植物園は、市民や観光者に楽しんでもらう施設として、 昭和45年7月に開園しました。ガラス温室は、高さ17mの中央ドームを中心に6棟の翼温室があり、室内面積約1,600㎡ の中に熱帯・亜熱帯性の植物を多数展示しています。
また、熱帯植物園前庭等には函館市水道局所有の源泉12本があり、これらの井戸から揚湯した温泉を、湯川地域のホテル・ 旅館・公衆浴場等に供給しています。
湯川という地名の由来は、アイヌ語のユベツ (湯の流れる川の意) とされ、相当古い時代から温泉がありました。
幕府の「正保国絵図」 作成のために松前藩が正保元年(1644年) に提出した絵図に、すでに「ゆの川村」が描かれています。
大正時代に入り、湯川村は温泉でにぎわい戸数400戸余り、 旅館・割烹33軒のほか、多くの別荘が建てられましたが乱掘のため枯渇現象が生じ、これが後に村営で温泉を供給することになる要因となりました。
昭和14年湯川町は函館市と合併し、温泉供給事業は市水道課 (当時)に移管され、戦後の観光ブームを歴て、函館市水道局管理部温泉課が源泉22井(内植物園内12井)を引き継ぎ現在にいたっています。
おサルさんをちょこっと覗いてから、いざ、温室へ。
大きなモンステラはカッコいいですね。
Neoregelia
ネオレゲリアの何か
全体
Ficus elastica
フィカス エラスティカ
Sterculia monosperma
ピンポンの木
そんなに珍しい植物はありません。咲くやこの花館や夢の島熱帯植物館と比べてはいけないですね。
金森赤レンガ倉庫
チェックインしていざ函館山へ。その前に赤レンガ倉庫。
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元町
そして元町へ。これが噂の八幡坂
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Polygonatum odoratum 'Variegatum'
斑入りアマドコロ(ナルコユリ)
この植物、欲しい。
シャルトル聖パウロ修道女会 函館修道院
ハリストス正教会
安政7年(1860年)、初代ロシア領事館の付属聖堂として建立されたのが始まりである。正しくは「函館ハリストス正教会復活聖堂」と言う。
文久元年(1861年)青年だった聖ニコライがロシアから付属聖堂付司祭として来函し、その後日本で最初に正教会(キリスト教の教派の一つ、東方正教会とも言う)を伝えた。彼は明治5年(1872年)に東京に移り、日本全国で正教会の伝道を始めた。
初代聖堂は明治40年(1907年)に函館大火で焼失したが、大正5年(1916年)に二代目となる現聖堂が再建された。聖堂内部では、高い丸天井や当時ロシアからもたらされたイコン(聖像)やイコノスタス(聖障)が、聖堂外部では真白な漆喰壁や鐘楼と聖堂の緑青をふいた屋根に独特の装飾で据えられた十字架などが特徴である。
再建当時の大鐘(重さ約2トン)は、大正12年(1923年)の関東大震災で大破した東京神田のニコライ堂復の際に移され、かわりに大小6個の鐘が贈られた。これらの鐘がリズムと共にメロディを奏でたことから「ガンガン寺」として市民に親しまれた。当時の鐘は戦時中に供出され、現在の鐘は昭和58年(1983年)6月に三重県桑名市在住の美術鋳造家から献納されたものである。
昭和58年(1983年)6月、国の重要文化財に指定された。
函館市
函館ハリストス正教会
Geminiに聞きました。
函館ハリストス正教会は、函館の元町地区(八幡坂のすぐ近く)にある、日本を代表する歴史的な教会建築です。正式名称は「復活聖堂(主の復活聖堂)」といいます。「ハリストス」は、ギリシャ語で「キリスト」を意味しています。
1. 歴史と日本の正教会の発祥地
始まり: 安政年間(1860年)、初代ロシア領事ゴシケヴィッチによってロシア領事館の付属聖堂として建てられました。
日本伝道の拠点: 翌1861年、若き青年司祭であった聖ニコライが来函し、この聖堂を拠点として日本で初めて正教会(東方正教会)の教えを伝えました。東京の「ニコライ堂」で知られる聖ニコライが最初に活動を始めた、まさに日本正教会の発祥の地です。
建物: 一度大火で焼失しましたが、大正5年(1916年)に再建され、現在は国の重要文化財に指定されています。
2. 美しい外観(ロシア・ビザンチン様式)
白壁と緑の屋根: 真っ白な漆喰の壁と、鮮やかな青緑色の銅板屋根のコントラストが非常に印象的です。
クーポル(ドーム状の小塔): 屋根の上にはロシア式建築の特徴である、ロウソクの炎をかたどった玉ねぎ型の小塔(クーポル)がいくつも並び、てっぺんには十字架が掲げられています。
3. 親しみを込めて呼ばれる「ガンガン寺」
教会の鐘楼から響く鐘の音は非常に美しく、環境庁(現・環境省)の**「日本の音風景100選」**にも選ばれています。
鐘を鳴らす独特のリズムと音色から、地元では**「ガンガン寺」**という愛称で親しまれており、主に土曜日の夕方や日曜日の午前中などにその音色が響き渡ります。
4. 内部のみどころ
聖堂の玄関で靴を脱いで中に入ると、ロシアから運ばれた精巧な聖像画(イコン)や、聖所を仕切る「イコノスタス(聖障)」など、重厚なビザンチン美術の世界が広がっています。日本初の本格的な女性イコン画家である山下りんの作品なども納められています。 (※内部は神聖な祈りの場のため、写真撮影は禁止されています。)
カトリック元町教会
カトリック元町教会は、函館の元町地区(函館山のふもと)に位置し、その鮮やかな赤い屋根と尖塔が函館の異国情緒あふれる風景を象徴する歴史的な教会です。
1. 歴史と起源
始まり: 安政6年(1859年)、フランスから派遣された外国宣教会(パリ外国宣教会)のブレット神父が函館に上陸し、仮聖堂を建てたのがルーツです。函館におけるカトリック布教の歴史の原点となります。
度重なる被災と再建: 創建後、大火や度重る火災に見舞われて焼失と再建を繰り返しましたが、現在の建物は大正13年(1924年)に再建されたものです。
2. 美しい建築様式(ゴシック様式)
大聖堂の外観: 重厚な石造り風の外観に、ひときわ目を引く鮮やかな赤い大屋根(ドイツ製の鉄板葺き)が特徴です。白壁とのコントラストが美しく、坂の上からでもよく映えます。
尖塔と幸福の鶏: 天に向かってそびえる高さ約33メートルのゴシック様式の八角形の尖塔が印象的です。尖塔のてっぺんには、風見鶏ならぬ**「幸福の鶏(雄鶏)」**の金色の飾りが掲げられています。この鶏は、聖ペトロの裏切りを思い起こさせ、信仰の目覚めを象徴するカトリック教会のシンボルとされています。
3. 内部のみどころ(ローマ法王からの贈り物)
ベネディクトの祭壇: 教会内部には、ローマ法王ベネディクト15世から贈られた、大理石でできた極めて貴重で美しい祭壇が安置されています。
美しいステンドグラス: 差し込む光が鮮やかな色彩を映し出すステンドグラスや、精巧な聖像の数々が厳かな空間を彩っています。(※内部は祈りと見学の場として大切にされています。撮影やマナーには配慮が必要です。)
函館市元町末広町重要伝統的建造物群保存地区
函館は、安政6年(1859年)に、長崎・横浜とともに、我が国最初の開港場として開かれて以来、諸外国との貿易や北洋漁業の基地そして北海道の玄関口として繁栄してきたまちです。
当該保存地区は、その中心的な役割を果たしてきたところで、現在でも旧外国公館や各宗教施設、公共施設や煉瓦倉庫群などのほか和風、洋風および函館独特の上下和洋折衷様式の町家が混在し、異国情緒豊かな町並みを形成しています。
面積は約14.5ヘクタールで、弥生町、大町、末広町、元町および豊川町の各一部の範囲となっており、指定されている伝統的建造物等が歴史的な雰囲気を醸し出して往時の姿を残しています。
函館市では、こうした町並みを後世に継承するため、「函館市都市景観条例」に基づき 「伝統的建造物群保存地区」を定め、北海道で唯一国の選定を受けた「重要伝統的建造物群保存地区」の貴重な歴史的町並みの保護保存に努めています。
チャチャ登り
函館聖ヨハネ教会
函館聖ヨハネ教会は、函館の元町地区(チャチャ登りと呼ばれる坂の途中)にある、イギリス国教会(日本聖公会)系の歴史ある教会です。十字架の形をした屋根が特徴的で、元町の三教会(ハリストス正教会、カトリック元町教会、聖ヨハネ教会)の一つとして親しまれています。
1. 歴史と起源
始まり: 明治7年(1874年)、イギリス人宣教師ウォルター・デニングが函館に赴任し、布教活動を始めたのがルーツです。
変遷: 幾度かの大火により建物消失を経験しましたが、現在の建物は昭和54年(1979年)に再建されたものです。
2. 特徴的な建築デザイン
十字架形の屋根: 上空から見ると、茶色のドイツ瓦で大きな十字架が描かれているのが最大のハイライトです。この独創的な屋根の形状は、聖公会の伝統を象徴しています。
スクエアな外観と和洋折衷の趣: 白い壁とブラウンのコントラスト、そして周囲の美しい木々や石垣が調和し、モダンでありながら落ち着いた佇まいを見せています。
3. 見どころと周辺の魅力
チャチャ登りからの景観: 教会のすぐ脇にある「チャチャ登り(アイヌ語のチャチャ=おじいさんのように、おじいさんのように腰を曲げて登る急な坂)」に面しており、坂の途中から見上げる教会の姿や、そこから広がる港町の景色は抜群の撮影スポットです。
内部の雰囲気: 聖堂内は木造の温かみが感じられる落ち着いた空間となっており、パイプオルガンなども設置され、美しい讃美歌の響く場所としても知られています。
函館ハリストス正教会の「玉ねぎ屋根」、カトリック元町教会の「赤い尖塔」、そして聖ヨハネ教会の「十字架の屋根」と、元町地区を歩くとそれぞれの教会の個性が際立って見えてとても面白いですよ。
函館山
ロープウェイで登りました。
人、人、人
函館山
もうすぐ日が暮れます
80万ドルの夜景
100万ドルになりました
おまけ
噂のラッキーピエロ発見
ブルームーン号
2日目
五稜郭
特別史跡五稜郭跡
昭和27年3月29日指定
ぼうぎょ五稜郭跡は、幕末の箱館開港に伴い設置された箱館奉行所の防御施設で、箱館奉行しょじゅつしらべしょたけだあやさぶろうなりあき配下の諸術調所教授役で蘭学者の武田斐三郎成章により、中世ヨーロッパで発達したじょうさいりょうほ城塞都市を参考に設計された西洋式土塁です。稜堡とよばれる5つの突角が星形の五角形状に土塁がめぐっていることから五稜郭と呼ばれ、郭内には日本伝統建築の箱館奉行所庁舎とその付属建物20数棟が建てられました。
安政4年に築造を開始して7年後の元治元年に竣工、同年6月に奉行所が移転してそち蝦夷地における政治的中心地となりました。その後、明治維新により明治新政府のえのもとたけあき役所となりましたが、明治元年10月に榎本武揚率いる旧幕府脱走軍が占拠、翌明治 2年5月に終結する箱館戦争の舞台となりました。箱館戦争後は、明治4年に開拓使により郭内建物のほとんどが解体され、大正時代以降は公園として開放されています。
五稜郭跡は、築造時の形態がよく残っていて日本城郭史上重要であるとともに、 幕末期の洋学採用の一端を示すものとして学術上きわめて価値が高いことから、 北海道で唯一の国の特別史跡に指定されています。
「五稜郭に立つ土方歳三」
天保6年(1835)、武州多摩の豪農の家に生まれた土方歳三は、文久3年 (1863) 幕府が募集した浪士隊に近藤勇らと参加し、尊王攘夷の嵐が吹き荒れる京都で新選組を結成、「池田屋事件」などの討幕派浪士に対する徹底した取締まりと同時に、「鬼の副長」として新選組隊士を厳しく統率し恐れられた。
鳥羽伏見の戦いや甲州勝沼の戦いでの敗北、さらに新選組局長であり盟友である近藤勇が処刑された後も、宇都宮、会津と戦い続け、榎本武揚率いる旧幕府艦隊に仙台で合流し蝦夷地に渡った。ここ五稜郭を本拠地とした旧幕府軍による暫定政権、いわゆる「蝦夷共和国」では、陸軍奉行並・箱館市中取締の要職を務めた。
箱館での土方は、「人に慕われることは、あたかも赤ん坊が母親を慕うかのようだ」と伝えられるほど温厚で、明治2年(1869) 春からの新政府軍による攻撃に際しては、自ら最前線で兵を励まし奮戦し、押し寄せる敵を撃退した。
しかし明治2年5月11日、新政府軍の総攻撃により孤立した友軍を援護するために出撃したが、一本木関門で銃撃を受け35年の生涯を閉じた。
この像は、旧幕府軍が蝦夷地から一時的に新政府の勢力を駆逐し、暫定政権を樹立した明治元年12月15日、戦場から凱旋した土方歳三が、乗馬用の鞭を片手に五稜郭に降り立ったもので、函館出身の彫刻家、小寺眞知子さんの作品です。
また展望2階には、小寺さん制作による座像「土方歳三之像」が設置されております。
五稜郭タワーの上から見た五稜郭
五稜郭タワーから見た街並みと函館山
五稜郭跡、行ってみましょう
箱館奉行所
到着
Pinus densiflora
アカマツ
赤松について、Geminiに聞きました。
Geminiに聞きました
1. 歴史的な背景と「赤松街道」のルーツ
植樹の始まり: 江戸末期の安政5年(1858年)、当時の箱館奉行組頭であった栗本瀬兵衛(栗本鋤雲)が、佐渡から赤松の種子を取り寄せて育てた苗を五稜郭周辺に植樹したのが始まりです。
赤松街道への移植: その後、明治9年(1876年)に明治天皇が北海道(七重勧業課試験場)に行幸されたのを記念し、当時の函館支庁長らの手によって、五稜郭の赤松の相当数が現在の国道5号線沿い(七飯町方面)へ移植されました。これが、現在「日本の道百選」や「歴史国道」にも指定されている有名な**「赤松街道」**の起源となっています。
2. 厳しい自然を耐え抜いた歴史の証
本来、アカマツは青森県が天然分布の北限とされており、寒さや雪の厳しい北海道での生育は難しいとされていました。
しかし、厳しい環境のなかで130年以上(種まきから数えると160年以上)もの年月を生き抜き、現在でも五稜郭の敷地内や周辺の並木道で、曲がりくねった力強い幹と青々とした葉を茂らせる美しい姿を見せてくれています。
幕末の箱館開港から明治の開拓期まで、ずっと函館の変遷を見守り続けてきた大切なシンボル的存在です。
五稜郭タワー、さようなら。
いざ、大沼国定公園へ。
大沼国定公園
到着
枚数制限(みどりのまとめは、見出しを含め50まで)のため、続きは後日に。
私の故郷を…キレイに撮っていただき、
ありがとうございます❣️
帰省したばかりですが…
地元を客観的に見たことがなく、
こんなに見るところがあったんだ!
と…再認識させていただきました。
生まれ育ったところを
違う地域の方が訪れることは
本当に嬉しく思います❣️
ありがとうございます🥰✨