季語は四季折々の風情を愛でる日本文化の象徴です。季語に含められる動植物を中心に、写真付きの俳句歳時記風にまとめた「季語シリーズ」、今回は冬の第八回です。猫凡という俳号で自作の句を入れています。
【寒椿】
私の感覚では椿の花は冬真っ盛り。漢字を見ればなるほど春の季語ではありますが、碧梧桐の有名な句、赤い椿白い椿と落ちにけり、はやはり雪が似合うと思うのです。
のけぞって鵯が花吸ふ寒椿 池内けい吾
暗闇と静寂(しじま)と一輪寒椿 猫凡
【山茶花】
椿とそっくりなのに、こちらは冬と分かち難く結びついているのはやはりあの歌の力でしょうか。
さざんくわや明日には明日を悦べる 小池康生
山茶花と風花刹那廻りあひ 猫凡
【熊楠忌】
南方熊楠の命日12月29日(昭和16年)。正岡子規、夏目漱石とは東京大学予備門の同期。計算以外は何でも出来て何でも知っている博覧強記の大天才。19~24歳のアメリカ留学時代、植物採集に熱中、25~32歳のイギリス滞在中は「ネイチャー」に次々論文を投稿。その頃、亡命中の孫文と意気投合。孫文は別れに際して「海外逢知音(海外にて知音と逢う)」という一句を熊楠の日記帳に記しています。エコロジーの先駆者でもあり、「歩く百科事典」「日本人の可能性の極限」と評されているのも当然でしょう。
その中の白衣も遺品熊楠忌 小畑晴子
瓦茸地衣類早贄熊楠忌 猫凡
【葱】
ユリ科の多年草で、薬味として欠かせません。薬効的には「マイルドな桂枝」で、気血を巡らせ身体を温めてくれるので、風邪のひき始めにはもってこいです。
ひといきに葱ひん剥いた白さかな 柳家小三治
葱の髄ちゅるりと吸へば手足のび 猫凡
【ざらめ雪】
溶けた雪などの水を含み、大きくなってざらざらとした氷粒の状態の雪。ざらめは漢字表記すれば粗目か。
月山に指熱く掘るざらめ雪 猪俣千代子
ざらめ雪集めてコクリ蕗じょうご 猫凡
【枯蔓】
夏あれほどまでに繁茂した蔓性植物たちも今は枯れ果て、テヅルモヅルかメドゥーサの髪か。
枯蔓をもがき抜けたる鶲かな 水原秋櫻子
枯蔓に破れあんどん烏瓜 猫凡
【短日】
日が短いことですが、日照時間の短さというよりも日暮れが早くなる実感でしょう。その意味では【暮早し】の方が明瞭です。
廚の灯おのづから点き暮早し 富安風生
待つ人のいる人にのみ日短し 猫凡
【冬の水】
手の切れそうな冷たさ、深く透明な青、穢れを祓う清さ、といった趣が含まれています。
日当れる底の暗さや冬の水 鷲巣ふじ子
胸の火や冬の水さえ消し去れず 猫凡
【コート】
もはや【外套】は死語、コート=外套の図式は成立しないでしょう。トレンチ、チェスター、ダッフル、モッズなどなど、コートといっても多種多様です。
刑事飛び出しぬコートを手掴みに 松岡ひでたか
親老ひて妻のコートの肩細し 猫凡
【紙八手の花】
カミヤツデは南方系のヤツデの仲間で、葉はヤツデよりずっと大きく、葉裏や枝に毛が多くて、群生すると原始の森を思わせます。名前は髄から紙を作ったことに由来します。花は真冬に咲きます。
紙八手群れ咲き花火祭り哉 猫凡
【一茶忌】
小林一茶が没したのは1828年1月5日(文政10年11月19日)、満64歳でした。
一茶忌のにつぽん中の雀かな 知久芳子
一茶忌や鳥水浴びて雫無し 猫凡
【寒雀】
冬の雀ですが、羽毛の間に空気を溜め込んで丸く見える様には【ふくら雀】という別の季語があります。寒雀には、厳寒期に懸命に生きる小鳥のけなげさが滲みます。
けふの糧に幸足る汝や寒雀 杉田久女
迷ひなく今を生きよや寒雀 猫凡
【藪柑子(やぶこうじ)】
赤い実を葉影にひっそりつける風情が愛される非常に丈の低い常緑樹。十両とも。ただし、斑入りのもの(写真は白王冠という斑入り品種)は花も実も付けません。寛政年間に京都から江戸で斑入り藪柑子ブームが起こったのですが、いかにも江戸っ子ですよね。「食えやしねぇ実なんぞ要らねんだいっ!この葉っぱよ、葉芸よ。見ねぇな、一枚として同じものはねぇんだぜ。面白ぇじゃねえか」ってな台詞が聞こえてきそう。新潟県立植物園の「にいがた花物語」というサイトに、やぶこうじ狂騒曲とでも言いたくなる事件について、興味深い記事がありましたので、長文ですが転載させて戴きます。
『江戸時代から百年の時を経て、明治20年ごろに小梅村(現新潟市秋葉区)を中心に流行が再燃しはじめました。明治27年には日清戦争に勝利したことで好景気が訪れるだろうとの予測からヤブコウジの売買が県内で過熱し、投機の対象として生産者や趣味家だけではなく一般市民も巻き込んでいきました。最も価格が高騰した明治29年の価格は、現在の価格で、一番の人気品種‘日之司’の3年生以上の株が1,000万~1,300万円でした。中には1鉢2000万円で購入されたことも記録されています。新潟県では倒産者や家財を傾ける者も多くあり、さらに他県にもブームは波及しました。当時の園芸雑誌に取り上げられたヤブコウジの記事には、「関西各地至る所愛培家を続出し迎いて中国四国九州の辺僻に及ぼせり・・」、「紫金牛(やぶこうじ)の流行に就て一言す 流行物即ち人気物は非常の盛衰を来すは必ず衰うの理にして・・」(日本園芸会雑誌 明治28年)、「種類は百種に至る(中略)明治二十五六年頃より越後地方に流行し終に全国に及へり七福神、干網、日の司の類は展芽一鉢数百円の売買在り・・」(日本園芸会雑誌 明治33年)など流行の大きさや売買への警告の内容が見えます。
事態を憂慮した新潟県は、明治29年に「ヤブコウジの売買に狂奔するために、農家は田畑を荒し、実業家は商売を省みないので注意すべし」との内容の知事諭告を発しました。しかし、一向に取引は止まなかったため、翌年には「紫金牛売買取締規制」が発布されました。これによって売買は鑑札によって許可され、取引場所の指定や売買内容の届出が義務づけられました。しかし、これを不満とした有力者が県当局に自由売買の嘆願をした結果、1年後に「取締規則」は廃止されました。その後も、ヤブコウジは人気品種の変遷を経ながらも盛んに売買が行われたようで、明治末期には小合村で100品種のヤブコウジが栽培されていた記録があります。
この狂乱によって社会は混乱に陥ったのですが、一方では新潟の花卉生産者が植物も巨利を生む可能性があることに気づき、チューリップ球根やアザレア、シャクナゲ等の収益性の高い植物が積極的に導入され、後にそれらの産地として大発展するという結果をもたらしました』
落葉あたたかうして藪柑子 種田山頭火
藪柑子葉に斑はあれど花も実も一切付けぬそれがどうした 猫凡
【冬木立】
冬枯れの裸木の林で、寒々とした寂寥も、透明な明るさも内包する言葉だと思います。
冬木と石と冬木と石とありにけり 友岡子郷
冬木立光増すほど闇深し 猫凡
【鯨】
日本近海には冬に回遊して来るので冬の季語となっています。
さみだるる沖にさびしき鯨かな 仙田洋子
「鯨死す」隅に小見出し女児轢死 猫凡
【水仙】
名前の由来は、水辺に育ち、仙人のように寿命が長く、清らかな植物、ということのよう。水辺のイメージも長命のイメージも薄いと思いますが、春まだ浅いうちに香りと共に一面を白に変える清らかさはまさにその通り。
水仙を接写して口尖りゆく 今井聖
白梅に水仙四海馥郁たり 猫凡
【冬の蚊】
日本で冬に見かける蚊の成虫はアカイエカのメスか、チカイエカのオスメスの可能性が高いとのこと。写真の蚊は立派な触覚を持つオスなのでチカイエカでしょうか。いずれにしても冬の蚊は弱々しいものです。
冬の蚊の埃のごとく下りてきし 三屋英俊
冬の蚊や壁に手をつき告解す 猫凡
【冷たし】
【寒し】と違って皮膚感覚、触れた時の感覚を表す言葉です。
日のあたる石にさはればつめたさよ 正岡子規
志士の墓碑冷たし熱き日々遠く 猫凡
【臘梅】
蝋の質感の半透明の花弁、俯き加減にそっと開いて胸の奥まで浄化されるような香りを放ち、真冬にあって春の兆しを強く感じさせます。
臘梅の黄の明るさの先に海 水田むつみ
蝋梅で心を洗ひ一日生く 猫凡
【冬の鵙(もず)】
日本最小の猛禽、もず。晩秋、里に降りてきて縄張りを持ち、単独で冬を越す。その凛とした佇まいを剣豪武蔵も愛しました。
冬鵙や百姓肩をまろめ来る 米沢吾亦紅
弱き我叱り飛び去る冬の鵙 猫凡
お楽しみ頂けたでしょうか?季語シリーズは能う限り続けていくつもりです。次回もどうぞお付き合い下さいね。