ごめんなさい🙇アップしてから何回か、編集やり直ししました。なのでスルーしてください!🙇🙇🙇🙇🙇🙇
チェコの国民的作家カレル・チャペックの園芸家の12ヶ月。ひと月分はすぐ読めちゃうので、並行して平凡社新書のカレル・チャペック-小さな国の大きな作家-を読んでいる。年譜を見てみると、本当に輝かしい、そしてかなりハードな人生を送ったことが良くわかった。この本を出版したのは1929年1月、チャペック39歳の時で、人生の円熟期に差し掛かっていたと思う。本の中では、園芸家達の右往左往が自分とちょっとシンクロするように思えて本当に楽しいのだが、この出版から10年後の1939年12月には、チャペック永眠。その10年にヨーロッパ諸国が複雑に政治的に絡み合いヒトラーの脅威が拡大していった。チャペックはことあるごとにヒトラーに対する不信感を表明。著作の中にもヒトラーに対する痛烈な批判が込められたものも多いという。「山椒魚戦争」を次は読んでみること。ナチスドイツからはチェコにおける第3番めの敵とリストアップされ、ゲシュタポが逮捕しに彼の家に踏み込んで来たときには彼はもう故人になっていたのは、本当に不幸中の幸いだった。ゲシュタポがやってきたのは、3月だった。。。
3月の園芸家
【伝統的な園芸家の三月をありのままに描写するためには、まず初めに、二つのことをはっきり区別しておく必要がある。すなわち、(a)園芸家が当然しなければならない、また、しようと思っている仕事。(b )園芸家がそこまで手がまわらなくって、結局じっさいにやる仕事。】
【(a)園芸家は最善をつくしたい。これは言うまでもないことだ。防寒のためにかぶせてあったそだをとりのけ、植物を直接大気にふれさせ、土を掘りおこし、肥料を入れ、鋤こみ、耕し、ひっくりかえし、土をほぐしてやわらかにし、レーキでひっかき、平にし、灌水をし、取木をし、剪定をやり、植えつけをやり、植え替えをやり、支柱をあたえ、スプレーをし、追肥をほどこし、除草をし、枯れた植物のあとにかわりを植え、種をまき、掃除をし、刈こみをし、スズメやツグミを追い、土のにおいを嗅ぎ、シュートを指で堀じくり、中略、、、大いにはりきって本職の園芸家とそっくりの生活をしようと思っている。】
3月の庭仕事、、、、😰これはどの参考書、ガーデニング系ユーチューバーの方ももおしなべて同じことを仰っている。。。ところが私は土壌改良もままならないで秋まきの苗を持って茫然自失。うちの庭には耕せるほど空いている場所がない。本来なら石灰を撒いて腐葉土と牛糞赤玉やもみ殻クンタンなども混ぜ混ぜしたかった😭でも掘り返したら何かの根を必ず切り取ることになるだろう。もっと本格的な土壌改良をやりたいのだが、ガーデニングを始めた頃は"ふかふかの土"など後回し、庭に穴掘ってその中だけ良い土を入れ、おまけに肥料は土と混ぜないでそこに穴のそこに入れていた。(主にバラ、そのせいで随分枯らしてしまった。。。)今でこそ土がどれだけ大切なのか理解していると思うけれど、未だに家の土はフカフカとは程遠い気がする、、、
というのは私のどうでも良い事情だけど、さてさて、100年前の園芸家であるチャペックの理想と現実、どうなっていたかを見ていこう😅
(b)園芸家がそこまで手がまわらなくって、
結局じっさいにやる仕事。
【ところがものごとはとかく都合よくいかないもので、まだ(でなければ、いつの間にかまた)土が凍っていると言っては、檻の中のライオンのように、園芸家は家の中でむかっ腹をたてる。-中略-ありとあらゆる災難、不幸、面倒な事件や不愉快な問題が、申し合わせたように、みんな三月という月にかたまって起こり、それに追われて一日一日と日がたっていく。つまり、うかうかしていられないのだ。】きゃー😆私のこと言っているのーというほど、よくわかっているじゃない、チャペックさん❤️と親近感が湧いてくる。実際に2023年3月中旬の今日も全国的に寒く関東地方では一日雨模様。せっかくの土日なのに庭仕事ができないでいる。ホントは早めに秋まきの苗をなんとか定住地を見つけて春播き種の準備にとりかからないと。。。
【天候だけはどうにもならない。どんなにさわごうと、どんなに誇大妄想にとりつかれようと、どんなに改革熱にかられようと、どんなに好奇心にもえようと、どんなに悪たれ口をきこうと、天候だけはだめだ。時がみちて法則にかなえば、蕾はひらき、芽はのびる。その時、きみは謙虚な気持ちになって、人間の無力なことをさとり、「忍耐がすべて知恵の母」だ、ということがわかるだろう。】全くその通り!でもチャペックの時代には地球温暖化などという言葉は存在しなかったのではないかしら。。。
芽
レンギョウ
【今日、3月30日午前10時、私の知らないまに、レンギョウの最初の花が咲いた。この歴史的な瞬間を、どんなことがあっても、見のがしてはならないと思って、小さな黄金の鞘に似た、一番大きな芽を、三日まえからわたしは見はっていた。】なんていう植物愛❤️
でも最初の花が開くその瞬間を見てみたい、、、という気持ちはわかるような気がする。花が開く瞬間って神秘的。。。隠れていたものが静かに踊りだす 。。
ライラック
【いちばん早いのは、もちろんライラックだった。気がついたときにはもう、かぞえきれないほどたくさんの、やわらかい葉をつけていた。ライラックを見張っているなんて、とうてい不可能なことだ。】
【しかしほかの灌木は土の中からか、それとも空からか、とにかく「そら!」という号令がかかるのを、まだ待っている。その時が来ると、すべての芽がいっぺんに開いて春になるのだ。】私は樹木に関してあまり知識はないのだけれど、散歩をしていてふと気がつくとそこら中に新芽が芽吹いて空気まで明るくなったような気分を味わうことが、春にはある。【おや!こうして書いているあいだに、あの「そら!」という神秘な声が鳴りわたったらしい。朝のうちはまだかたい襁褓(むつき)につつまれていた芽が、やわらかい葉さきを押し出して、レンギョウのしなやかな枝にきらりと小さな金の星がひかり、梨のふっくらした芽がすこしひらき、なんの芽かわからないが、その先にみどりをおびたきんいろの蕾がかがやいていた。ねばねばした鱗片からは、若々しいみどりが顔を出し、ふとった芽がひらきかかって、小さな葉脈と小さなたたみ目の、やさしいスカジ細工が押しあって出ようとしていた。赤くなってはにかむことはないのだ。たたんだ扇をひらくがいい。うぶ毛をはやしてねむっている芽よ、目をさませ。スタートの命令が、もう出たのだ。楽譜にのらない行進曲の、はなやかなラッパを吹き鳴らすがいい!日をうけて光れ、金いろの金管楽器。とどろけ、太鼓。吹け、フリュート。幾百万のヴァイオリンたちよ、おまえたちのしぶき雨をまきちらすがいい。茶いろとみどりのしずかな庭が、凱旋行進曲を始めたのだ。】あ~長くなってしまった😂😅文章が素晴らしすぎて私は何も書くことがなくなってしまうのだけど、本から一文字ずつ打ち直していると、清書している、または写経をしているみたいな気分になり、私のような乱読派には文章の美しさを味わえるよい機会だと思った。これは翻訳ものなのだけど、翻訳家にも脱帽です。
彼が自宅で亡くなった1938年12月25日から3か月後の1939年3月はゲシュタポがチャペックを捕まえるためにやってきた。
その春も彼が愛した庭に、たくさんの木の芽が芽吹き、レンギョウの花は咲いていたに違いない。
このまとめに気づくのが遅すぎでした💦
春は何もかもが一斉に動き始めて、やらねばならないこととできたことのギャップが大きいですよね😆
ふと我に返ったら、やりかけで放置されている作業がアチコチに・・・
行った先で目についたことをやっている内に
「あ、あっちを先にやらないと・・・」
こんなことの繰り返しです😅
話は変わりますが、数年前に超訳という言葉が使われていましたが、この本はそれよりもっともっと前の時代に翻訳されているんですもんね。
すごい方だと思います🎵