季語は四季折々の風情を愛でる日本文化の象徴です。季語に含められる動植物を中心に、写真付きの俳句歳時記風にまとめた「季語シリーズ」、今回は秋の第8弾です。今回も俳号猫凡で自作の句や歌を入れています。
【紫式部の実】【実紫】
シソ科の落葉低木で、小鳥の好む紫の実を付けます。庭木としては実付きの良いコムラサキが選ばれることが多いと思われます。
紫になりきれぬまゝ式部の実 福島えつ子
鳥とともメトロノームの実紫 猫凡
※作者ノート:庭の小紫がびっしり実を付けると、ジョウビタキ、ヒヨドリ、ウグイスなどが入れ替わり立ち替わりやって来ます。細い枝先に実が付いていますから、鳥の重みで枝先が大きくしなっては戻る、楽しい秋のリズムです。
【干柿】
渋柿を乾燥させることにより、タンニンが不溶性に変わって渋味がなくなり、砂糖の約1.5倍とも言われるほど甘くなります。歴史は古く、遅くとも6世紀の中国で作られていたことが分かっています。
干柿のこれで五つ目癪な種 高澤良一
【みせばや】
ベンケイソウ科の多肉植物。美しい花を誰に見せようか、見せたい、の意味で「見せばや」です。
見せばやな雄島のあまの袖だにも濡れにぞ濡れし色は変はらず 殷富門院大輔
※ねこ流蛇足:翻訳します。「あなたにお見せしたくてたまりません。松島は雄島の海人の袖さえ、いくら濡れても色は変わらないというのに、ああそれなのに、血の涙を流す私の袖は紅に染まっているのですよ」
殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ。1131頃~1200頃)は藤原信成の娘で、後白河天皇の第一皇女、亮子内親王(後の殷富門院)に仕えました。歌の名手で「千首大輔」の異名をとりました。
百人一首にも登場する源重之の
「松島や 雄島の磯にあさりせし あまの袖こそ かくは濡れしか」
という歌をモチーフにした「本歌取り」です。「松島・雄島の磯の漁師の袖くらいだろう、恋の涙にかきくれる私の袖ほどに濡れているのは」という意味です。大輔はそれに「いいえ、私の方がもっと嘆いているのよ」と時代を超えて返歌しているわけですね。
【十三夜】
毎月13日の月ですが、特に旧暦9月13日にあたる日の月。十三夜は満月になる途中の少し欠けた月で、いわば未完成の月。日本人はそこにゆかしさを感じたのでしょう。旧暦8月15日の十五夜からほぼひと月遅れなので【後の月】とも呼ばれます。
埠頭まで歩いて故郷十三夜 松永典子
十三夜蛙と共に見上げけり 猫凡
【末枯(うらがれ)】
秋、草葉が先の方から枯れ込んでくる様。「秋なり。草葉のそと色づきて枯るることなり。〈草の枯るる・枯野〉などは冬なり」(御傘)
末枯れや目上と云うも姉ひとり 市川静江
【蟄虫坏戸(ちっちゅうとをふさぐ、むしかくれてとをふさぐ、ちっちゅうはいこ)】
秋分の二候で、虫などが寒さを凌ぐべく穴に入ることです。写真はキマダラカメムシが網戸の桟に身を潜めているところ。
「蟄」は、執+虫から作られた形声文字で意味は「かくれる。冬ごもりする」です。
「坏」は、土+不から作られた形声文字で、ふくらむという意味を持っていることから「おか:丘」が原義です。のち塞ぐ、埋めるの意味でも使われるようになりました。
思秋期に独り蟄虫戸を坏ぐ 猫凡
※作者ノート:この季語で例句を見つけられず困りました。虫が穴に籠る➡︎恋の悩みに心閉ざして部屋に閉じこもっている思春期のお嬢さん、が浮かびましたが、春という字を使いたくない。あ、岩崎宏美の名曲「思秋期」は⁈調べてみたら歌詞もぴったり。ということで一応の作句に至りました。
♪足音もなく 行き過ぎた
季節を ひとり見送って
はらはら涙あふれる 私十八
無口だけれど あたたかい
心を持った あのひとの
別れの言葉抱きしめ やがて十九に
心ゆれる 秋になって 涙もろい私
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく
【蟋蟀(こおろぎ)】【ちちろ】
鳴く虫の代表格で、いろいろな種類があります。羽化して間もない頃はぎこちない歌が、みるみる上達し、寒くなる頃には枯れ野を吹き渡る風のように幽けき味わいとなるのがあわれを誘います。
帯結びなほすちちろの暗がりに 村上喜代子
「増殖する俳句歳時記」の解釈:句集中〈風の盆声が聞きたや顔見たや〉〈錆鮎や風に乗り来る風の盆〉にはさまれて配置されている掲句は、越中八尾の「おわら風の盆」に身を置き、作られたことは明らかであろう。三味線、太鼓、胡弓、という独特の哀調を帯びた越中おわら節にあわせ、しなやかに踊る一行は、一様に流線型の美しい鳥追い笠を深々と被っている。ほとんど顔を見せずに踊るのは、個人の姿を消し、盆に迎えた霊とともに踊っていることを示しているのだという。掲句からは、町を流す踊りのなかで弛んだ帯を、そっと列から外れ、締め直している踊り子の姿が浮かぶ。乱れた着物を直すことは現世のつつしみであるが、ちちろが鳴く暗がりは「さあいらっしゃい」と、あの世が手招きをしているようだ。身仕舞を済ませた踊り子は、足元に浸み出していくるような闇を振り切り、また彼方と此方のあわいの一行に加わる。長々と続いた一夜は「浮いたか瓢箪/軽そうに流れる/行く先ゃ知らねど/あの身になりたや」(越中おわら節長囃子)で締めくくられる。ちちろの闇に朝の光りが差し込む頃だ。
【藤袴】
秋の七草の一つの丈夫な多年草。【蘭草(らんそう)】とも。薄紫のものが多く詠まれていますが、白花もあります。
藤袴淡き思ひ出たぐりつつ 三枝かずを
藤袴虫の音色にさえ震え 猫凡
【浅葱斑(あさぎまだら)】
夏の季語とされているようですが、どう考えても秋でしょう。長距離の渡りをすることで知られ、オスがフェロモン産生のためにフジバカマ等に飛来するのが秋の風物詩となっています。【蝶渡る】も風情ある季語です。
死してなおはらりはらりと風に舞う浅葱の翅の澄める哀しさ 猫凡
【蟷螂(とうろう、かまきり)】
藤袴に潜んで浅葱斑を捕食した直後、近くにいたライバルを倒して頭から貪り食っていました。交尾後に雌に食われる雄も少なくありません。
かまきりの眼ふたつが怜悧たり 中田剛
蟷螂の猛々しさよ生きること 猫凡
【菊】
キク科の代表で、無数の品種があります。美しいだけでなく食用・薬用にもなります。
あるほどの菊抛げ入れよ棺の中 夏目漱石
妹と見るハウスの菊に暗さなし 猫凡
【七節、竹節虫(ななふし)】
バッタに近いナナフシ目の昆虫。枝葉に似せた見事な擬態で有名です。
七節蟲の単なる棒が歩き出す 高澤良ー
竹節蟲の死して初めて虫となり 猫凡
※作者ノート:ナナフシを見たことのない人の方が多いのではないでしょうか?いないわけではなく、それほど見事な擬態なのです。しかし死んでしまうと誰が見ても虫だと分かります。ずっと植物になりすましてきた虫が、死んで初めて虫に戻って安らげるような、そんな妄想です。
【草の穂】
主にイネ科の草が秋に出す穂花の総称です。
雨雫して秋草の穂といふ穂 高澤良一
【眉刷毛万年青(まゆはけおもと)】
南アフリカ原産の球根植物Haemanthus albiflos。歳時記未収載ですが日本ではまさしく秋の花です。
青い家で激しく生きた女にぞ眉刷毛万年青見せてやりたし 猫凡
※作者ノート:メキシコを代表する画家フリーダ・カーロ。度重なる病気、事故、夫の不倫、苛烈な短い生涯を駆け抜けた彼女の顔は、写真でも自画像でも太く強い眉が非常に印象的です。彼女にならこの太い眉刷毛も相応しい気がするのです。
♪ラリー ラリー 接戦 接戦
ボレー スマッシュ 瞬間 瞬間
際どい位置にボールは落下
判定は? 判定は? 判定は?
「…アウト」
審判はフリーダ!
げじげじ眉毛の下 ぐりぐり目玉で
全てを見る私こそがルールの番人…ダ!
審判はフリーダ!
げじげじ眉毛の上 最愛のディエゴに
不安な時は 相談するわ
VIVA LA VIDA 審判はフリーダ
(井上涼、びじゅチューン!『審判はフリーダ』より)
【初鶲】
ジョウビタキがやってくると、ああ冬が近いなぁと実感されます。澄んだ囀りも晩秋の冷気にしっくりと馴染みます。
いとまごひして立ちし時初鶲 南耕風
初鶲一声有れば空気冷え 猫凡
【数珠玉(じゅずだま)】
イネ科の多年草でハトムギの原種。水辺に多く、田畑の側に群生していたものです。
じゅず玉は今も星色農馬絶ゆ 北原志満子
数珠玉や漆黒なれど光満ち 猫凡
※作者ノート:黒というのは光を吸収するから黒なのではなかったか?では数珠玉のこの光沢はどうしたことだろう。まるで自ら発光しているかのようだ。調べてみると、色としての黒とは別に、表面の平滑さによる反射によって「黒光り」という状態が現れるのだそうな。ジュズダマの実は表面にシリカを含むホーロー質を持っているからすべすべなのだ。きっと大事な種子を守るためなのだろう。
【草の実】
秋は実りの季節。それは雑草とて同じことです。
草の実のはじけ還らぬ人多し 酒井弘司
草の実という名の希望世に満てり 猫凡
【葛】
秋の七草の一つで風情あるものとされていたのも今は昔、すっかり厄介な雑草扱いされているマメ科の蔓性多年草です。葛は新芽を天麩羅にすると美味しいらしいですし、貧相な豆も煮ると膨らんで普通に豆として食べられるそうです。
桶狭間真葛の蔓の絡み合ふ 下里美恵子
葛の豆巨人となせる天地の力よ注げ跼む者らに 猫凡
※作者ノート:小さな葛の豆が一夏で山をも呑み込みそうな異常とも言える繁茂を示す。誰が肥料をやるでもなく、あめつちの力によって。全地のかがんだ者、頽れそうな者にその偉大な力が注がれんことをただ願うのみの非力な自分。
【銀木犀】
中国原産のモクセイ科の常緑樹。金木犀も銀木犀も香りですぐそれと知れます。
銀木犀文士貧しく坂に栖み 水沼三郎
※ねこ的蛇足:「作家先生」でなく「文士」が住むうら寂しい木造家屋に銀木犀が香っている、それだけの句です。私が惹かれる理由は「銀」木犀である必然性です。これが金木犀だったら句としてどうでしょうか。寂しい色で、金木犀ほど知られてもいない銀木犀だからこそ、貧しさに耐えて文筆活動を続けている文士の気高さが際立ってくると思うのです。
【秋の海】
海は年中変わらずそこにあるといえども、その趣は時々で変わります。秋の海は深く澄んだ青、波やうねりの高まりで特徴付けられるとものの本には書いてありますが、秋独特の物哀しさを胸に抱いて見つめるからいつもと違って感じられるというのが本当ではないでしょうか。
波音の平たくなりぬ秋の海 和田順子
命抱き冴えて温しや秋の海 猫凡
今回も楽しんで頂けたでしょうか?
季語シリーズはまだまだ続きます。
毎月19日の《GS句会》もよろしくお願いします。
皆さまの句が楽しみです🥰