季語は四季折々の風情を愛でる日本文化の象徴です。季語に含められる動植物を中心に、写真付きの俳句歳時記風にまとめた「季語シリーズ」、今回は冬の第四弾です。今回も俳号 猫凡で自作の句を入れています。
【冬晴れ】
冬の晴れは秋のそれと澄んだ感じは同じでも有り難みや朝の厳しい寒さの印象が異なります。
行く雲の冥きも京の冬の晴 瀧青佳
冬晴れの蒼さ清しき響灘 猫凡
【冬芽】【冬木の芽】
春に備えて既に整えられた芽で、写真のヒメグルミのように、葉痕とセットでユーモラスに見えるものが少なくありません。
あたたかき冬芽にふれて旅心 安土多架志
強靭さ秘めて微笑む冬木の芽 猫凡
【石蕗(つわ)の花】
キク科の常緑多年草で、「葉に艶のある蕗」からつわぶきとなったそうです。樹陰の下草で、暗い場所にぽっと灯るように花を咲かせます。
雨降ればふるほどに石蕗の花 山頭火
※ねこ流解釈:我が山口県は防府生まれの漂泊の俳人、種田山頭火。普通の生活を送ることに適応出来ず、行乞しながら自由律俳句を詠み続けて短い一生を終えました。冷たい冬の雨に打たれるほどに鮮やかさを増す石蕗の花、自分もそうありたいという憧れに似た気持ちが込められているような気がします。
【冬眠鼠(やまね)】
日本固有の齧歯類で歳時記未収載ですが、季語【冬眠】が冠されているので当然冬の季語で良いと考えます。ドブネズミのような嫌われ者は栗鼠や冬眠鼠やカピバラの愛らしさをどう思っているのかしらん?Photo by パトリシアさん。
旧友や冬眠鼠を語るとき少年 内山思考
舞う雪のかけらの軽さ掌のやまね 猫凡
【花八手】
ウコギ科の常緑低木ヤツデの花。ハエやアブにより受粉し、翌年初夏に実を結び、ヒヨドリなどに食されて新たな地に運ばれてゆきます。
どの毬も虫の遊べり花八ツ手 松崎鉄之介
花八手日陰にありて俯かず 猫凡
【凍蝶(いてちょう)】
【冬の蝶】よりもいっそう寒さや哀れを感じさせる言葉です。写真は我が家にやって来たムラサキツバメ。この蝶は小集団をなして成虫越冬します。
蝶凍てて苔のにほひにつつまるる 松村蒼石
【開高忌】
小説家、開高健(かいこう たけし)の忌日12月9日。1930年(昭和5年)12月30日、大阪府大阪市天王寺区生まれ。昭和28年、大阪市立大学法文学部法学科卒業。昭和33年『裸の王様』で第38回芥川賞を受賞。ベトナム戦争を取材するなど、行動派の作家として活躍。戦争での凄烈な体験をもとに『輝ける闇』(1968年・毎日出版文化賞)や『夏の闇』などを発表。『ベトナム戦記』などルポルタージュ文学確立の功績により昭和56年、第29回菊池寛賞を受賞。平成元年12月9日、食道腫瘍に肺炎を併発し死去。58歳。墓は神奈川県鎌倉市山ノ内の円覚寺境内の松嶺院にあります。
味気無きオフィスで思う開高忌 猫凡
※作者ノート:傑作「オーパ!」、「フィッシュ・オン」など読むと、決まりきった日常を飛び出して原始そのままのような釣りをしたいという衝動に駆られる。広い世界の片隅にたまたま生まれ、その狭い世界しか知らずに朽ちていくことの憂鬱。その実、地球のどこにもそんな釣りの出来る桃源郷はもうないのかもしれないことも承知している上に、環境破壊に自分も一役買ってしまっているであろう罪悪感も加わって、何ともやるせなくなるわけですな。
【枯蔓】
カラスウリ、ヤブガラシ、ノブドウなどの蔓草が枯れ果てている様子です。荒れ果てた印象ですが、ユーモラスに思えることも。
こと切れしごとく枯蔓宙吊りに 高澤良一
枯れ蔓や舞いつ囃子つ吹かれけり 猫凡
【鼈鍋(すっぽんなべ)】
甲羅の柔らかい亀で、体重が軽いので機動性に富んでいます。噛み付いたら離さないと言われますが、水に浸ければすぐ離して泳ぎ去るようです。「すっぽん」は無季、鍋にされて初めて冬の季語となります。滋養強壮に抜群とされています。Photo by お馬のけーこさん。
素寒貧スッポンポンで鼈鍋 猫凡
※作者ノート:特に深い意味はありません。スッポンという言葉の響き、とぼけた印象からのただの言葉遊びです。通常鼈鍋あるいは丸鍋は高級な料理であり、素寒貧の口に入るはずもないわけです。赤貧洗うが如き素寒貧がスッポンポンで高級な鼈鍋をつついている図というのも面白いかなと思ったのです。
【落ち葉】
あらゆる落葉樹の落ちた葉だけでなく、散りゆく様も表す言葉です。落ち葉は葉にとっては死ですが、菌類やミミズにとっては命の糧であり、あらゆるものを育む土の元でもあります。
落葉のせ大仏をのせ大地かな 上野泰
落ち葉敷き私の犬を埋葬す 猫凡
【桜落葉】
特定の樹の名前を【落葉】に付して用いることもできます。
透く袋ぱんぱん桜落葉つめ 星野恒彦
※ねこ流解釈:透明なゴミ袋に桜の落ち葉を放り込んでは叩いて量を減らす、そんな情景です。大量に積もった鮮やかな落ち葉、拾った部分だけ道路が見え、その分が袋に移る、そんな色の面白さもありますが、やはりこの句の生命は音でしょう。袋が一杯に緊満するという意味と当然掛けられていると思われますが、冬の澄んだ空気の中で響き渡るパンパンという音が聞こえてくるようです。
【冬の蜂】
低温で動きが鈍った蜂の姿です。【凍蜂(いてばち)】はじっと凍ったように動かない蜂を指します。猛々しい蜂の弱々しい姿は哀れを誘います。
掃き寄せし塵の中より冬の蜂 黛まどか
【金柑】
ミカン科の常緑低木。小さな実を砂糖煮にして風邪薬としたりします。実がとても小さい園芸品種が金豆(きんず)、豆金柑です。
金柑の甘さとろりと年迎ふ 鈴木真砂女
金豆鉢つつむ掌の中ほの明かし 猫凡
【枇杷の花】
バラ科の常緑高木。冬、枝先に芳香ある帯黄白色の五弁の小花を多数つけますが、実に比べて全く目立たないものです。
亡夫より亡父の匂ひ枇杷の花 中嶋秀子
【冬の灯】【寒燈】
冬の夕暮にともされる灯のことです。家路を急がせる灯と言えるかもしれません。
絵の家に寒燈二ついや三つ 岡井隆
項垂れし小さき背中に冬灯り 猫凡
【狸】
今では身近とは言えなくなったイヌ科の愛嬌者。同じ「化かす」存在でも狐と比べて抜けたところがあるのが愛される理由でしょう。
戸を叩く狸と秋を惜みけり 蕪村
化かされたように我見る狸哉 猫凡
【冬椿】
椿といえば私は冬のイメージを抱くのですが、季語としては春なのです。冬に使いたい時は冬椿あるいは寒椿の語を使わなければなりません。
一枝に花一つきり冬椿 鷹女
鳥がためひそと紅さす寒椿 猫凡
※作者ノート:椿は鳥媒花、山茶花は虫媒花である。故に椿の花は丈夫で、雄蕊は合着した筒状の構造をとり、蜜が豊富で、斜めに咲くのだ。藪椿の鮮やかな紅も鳥へのアピールに他なるまい。冬ざれの色彩に乏しい藪に咲く一輪の椿は、子孫を残すための装置なのだが、それが我々人間の心をこれほど震わせるのはなぜなのか、そこに私はいつも畏怖に近い感動を覚える。
【冬夕焼】【寒夕焼】
夕方の短い冬は夕焼けに遭遇する機会が減りますし、見る間に暗くなってしまいます。それだけにこんな穏やかな夕焼け空がいっそう貴重に思われます。
明星の銀ひとつぶや寒夕焼 相馬遷子
君の手を握りなおして冬夕焼 猫凡
【冬三日月】
冬の冴えかえった空の鋭い月。写真の三日月は「地球照」を伴っています。暗い部分が地球に反射した太陽光でぼんやりと照らされています。
駅からは冬三日月の明りかな 高橋和子
黄昏にまぶた閉じたる冬三日月地球照にぞふわと覆われ 猫凡
【小春凪】
小春日和とは立冬(新暦11月7日ごろ)を過ぎての暖かい日です。そんな日和の穏やかな海の様子です。
魚籠さげて大黒天の小春凪 加藤耕子
哀しみの最中にそっと小春凪 猫凡
《季語シリーズ》は能う限り続けていく所存です。次回もどうぞお楽しみに。