2話投下。3話は、もちろん未定。
いつだっけか、無人島にCD一枚持っていくなら?ってお題でポーグスの3枚目をUPしたことがある。今回はそこにまつわる話を書いてみよう。久しぶりに徒然草するかね。 おニャン子倶楽部を卒業し、やっと洋楽に目覚めた。 ジャーニー『Be good to yourself』でハミングし、スターシップ『Sara』のジャケット描写は美術教室に飾られ、U2『君、アリorナシ』は音楽の授業で英語で独唱(カラオケ)した。 でも、やっぱり若いもんね……ジョン・ボン・ジョヴィにビンタされ、ガンズにバックドロップをくらい、メタルでヘドバンした。 しかし、その一方で、遊佐未森に出会ってしまう。 とてもじゃないが、メタル仲間に遊佐未森が……なんて言えない。 僕の土曜日はノイズなFM(当時の遊佐未森の番組は電波か悪かった)を聴くことで満たされていたのだ。 遊佐未森からは、かなりの影響を受けている。 彼女が好きな人達は今でもよく聴く。 コクトー・ツインズは当時のブリティッシュ・ニューウェーブの偏向的代表格だ。後にはそこからライドなどシューゲイザーに進んでいく。もしかしたらどこかでメタルはお子ちゃま、と思っていたかもしれない。 ある日のことだった。 文化祭に没頭してた高三の時、トモダチのイトウA子(変人)が、これ聴いてみ?とポーグスを貸してくれた。 ……衝撃だった。 メタルとパンクは水と油みたいなもので食わず嫌いだったが、いわゆる縦ノリにハマってしまう。 一応、ピストルズやラモーンズは知らないわけじゃなかったが、民謡(アイリッシュ・トラッド)を酩酊しながらかき鳴らす、、、ギターやバンジョーなど生音を弾きたくるものが新鮮で琴線がビシビシ鳴ってしまったのだ。 大学に入ると、マンドリン部に入った。元々クラシックは好きだったから、やる曲は苦にならない。その傍ら、ポーグスを全曲耳コピする。おんなじような変わり者はいるもので、ポーグス好きの人とアイリッシュパブに飲みに行ったりした。 アイリッシュパブ……どういうところか知ってますか? パブは、イギリスやアイルランドの文化の根底を成すもの。その店内では、夜な夜なセッションが行われているのだ。フィドル、ギター、マンドリン、バンジョー、ブズーキ、アイリッシュパイプ、フルート、アコーディオン、ティンホイッスル、バウラン。この中の3つ位が集まれば、セッションは勝手に始まる。 ※アイリッシュ・トラッドを詳しく知りたい方は、BOTHY BANDのKesh Jigをおすすめします 本場のパブに行ってみてぇな…… 大学2年の夏休み。僕は36日間の予定を立てた。 マドリード〜アイルランド〜ロンドン。初めての一人旅。 いわゆるバックパッカーってやつで回る国も期間も気分次第、どこに泊まるか、その日次第だ。 国内での準備は、アメックスの小切手や国際学生証、ユーレイルパス(鉄道)。後は全て『地球の歩き方』任せ。 それしかなかったもんね笑。 大学2年と書いたが、正直記憶があやふやだ。どこから旅立ったのか覚えていない。伊丹か関空か。調べてみると1994年関空開港らしいから、伊丹?からテイクオフということにしておこう。 当然、格安航空券利用なので、タイエアラインバンコク経由。伊丹からバンコク〜ローマ〜マドリードの片道はあまりに長い。20時間位?でも、その長い時間すらワクワク楽しい。 伊丹からバンコクへ向かう機中、隣がモロッコ男だったのだが彼にスペイン語を習った。スペイン語はローマ字発音なので全然難しくない。旅に必要だと思われる簡単な英単語をスペイン語に訳してもらう。スピーク=ハブレ、ハブレ イングレーゼ?なら英語話せる?という具合だ。ラテン系のスペイン語には男性詞とか文法があるが、そんなもんどうでもいい。要は通じればいいのだ。ガイド本の会話集とかは、そのへんがだめなところで、全く即効的実用性が無い(¯―¯٥)w。出川イングリッシュこそが最強だといつも思う。 タイでトランジット(乗換)し、次はローマだ。かなり勉強したし爆睡だった。 ローマの空港はどこだったが忘れたが2〜3時間の乗換待ちがあった。僕は空港内を探検することに。テクテク歩いて眺めのいいところで飛行機を眺めていたのだが、 あれだけ眠ったのにやっぱり眠い。 ……(。-ω-)zzz. . . (。゚ω゚) ハッ! ……ココどこだっけ?(本当にわからない) ん?なんか俺の名前……?呼ばれ……とる? 呼ばれとる!!!連呼されとる!! ココどこ!?(空港内は認識) ダッシュ。迷子だけどダッシュ。 でも、結構歩いたからホントの迷子。 タイ航空のターミナルはどこだっ?? 清掃職員に聞くが、あっちかな、こっちかな? 全くあてにならない。 とにかく走る。 あった、あそこだ!! ……と、辿り着いた僕の目の前でタラップは切り離された。 職員は、あきらめなさい。あれだけ呼んだのに…あなたが悪いわって顔。 タイ航空は行ってしまった。 ゼェゼェ息を巻く僕を尻目にゆっくり、ゆっくりと。 未だ忘れられぬ光景。 取り残される俺…… 初一人旅、海外初日のことである。 第1話 オワリ
僕だけを残し、荷物だけが行ってしまった。 幸い、パスポートやお金はおなかのバッグ(おなかに巻くやつ)にあるので、なんとかならないわけじゃないけど……。どうするか。なにしろ、海外初一人旅初日なのだ。あと33日間どうしろと? 一応、付け足しておくと、海外旅行は初めてではない。カナダ、香港、バリなど家族で行ったことはあるし、フリーで動いたものばかりだ。 さぁさぁ、落ち込んでいるヒマはない。 とりあえず、職員に掛けあってみるが、 イタリア語なまりの英語はかなり聞きづらい。しかしながら、呆れ顔だったくせに、そこは外人。『次』をすぐに考え始める。 あちこちに電話してくれ、なんと今出るアリタリア航空の余り席を用意してくれた!しかも無料で! thankyou for your help!と何度も頭を下げ飛行機に乗り込み、待ってろ荷物、頼むからあってくれよ、と祈りながらいたのだが、初めて食べた機内食の生ハムに、ナニコレめっちゃうまいやん、と全て忘れていた。 マドリードに着くと荷物はちゃんとあった。 やるやん外人!と叫びながら中身を確認すると全部揃っていた。 そうなのだ。ちょっとした海外旅行したことがある方はお分かりになると思うが、モノは肌身離さずでないと本当に危ない。荷物は必ず両足で挟むのが常識で、それでもヤラれることがある。空港内でも関係ない。なのに、完全無傷。これは運がいいとしか言いようがない。しかも、なんでもテキトーなラテンの地で、だ。 ターミナルを出た時の、日差しがとてもきつかったのをよく覚えている。どうやってマドリード市内に行ったかな、とにかくレモネードと生ハムサンドをあちこちで食べたことだけは覚えている。 実は、先日その時の旅日記を見つけた。汚い字で支離滅裂な日記を読むと、なんとなく思い出すもんだね、そこにも生ハムサンド最高!って書いてあった笑 もちろん、機内食の生ハムとは比較にならない。スライサーでわんさか切ってサンドしてくれるんだもん。 スペインには、都合11日間いたようだ。 マドリード、コルドバ、マラガ、グラナダ、セビリア。目的は特にないので、もっぱら美術館や教会、宿探しで一日が終わる。 日記には、宿名と宿賃が書いてあった。もちろんユーロではない。当時はペセタだ。2000ペセタ≒1500円位だろうか。その位の宿は★か★★で、シャワーの有無、そしてお湯が出るかがポイント。カリエンテか確認しなきゃならない(カリエンテ=熱い)。英語で聞くのもいいけれど、やっぱり現地では現地語で頑張りたい。飛行機で教えてくれたモロッカンには感謝で、めちゃくちゃなスペイン語だけれど、相手は笑顔マシマシで接してくれる。いつだっけか夢の中でスペイン語をベラベラ喋ってることがあったっけ笑。 基本的に宿は安く、メシは豪華にというスタイルだったが、丁度94年のサッカーワールドカップ決勝(ブラジル対イタリア)をバルで観たのを覚えている。イタリア贔屓かと思いきや、ブラジル応援の方が多くてPK勝った途端にアチコチでクラクションが鳴ってたなー。あの時食べてたトルティーリャ(スペインオムレツ)は未だに忘れぬ味だ。 忘れぬ味といえば、ガスパチョだ! カラッとした気候にはホントによく合うスペシャルだ。 スペインの次はポルトガル・リスボン。 フラメンコに続き、FADO(ポルトガルギターの演歌みたいなやつ)を観たくて2,3軒回ったけど、どこも観光客向けでイマイチ。調弦くらいちゃんとしろって日記に書いてあった笑 そうそう、リスボンに入る前にファロってトコに寄った。国境沿いの海街で泳いだのだが、みーんなトップレスでびっくりしたなー おっぱいいっぱいドカーン♡♡♡ その時に持ってた楽器(スペインで買った!)を勝手に地元のガキんちょが触ってて、ガンズを弾いてみせたら、おぉってなったんだけど、その時、確実に、『エコノミックアニマル』って言われたんよね。あんなボロボロの格好(吉田栄作スタイルの白T)してても彼らから見たら僕はリッチな日本人。正直傷ついた。未だに覚えてるもんね。 そういえば、スペインやポルトガルはパティオがとてもきれいだった。パティオとは、中庭のこと。※2枚目の写真。グーグル先生参照。 京都の町家みたいに、入口は狭くても中には結構立派な庭がある。花と緑が溢れ、小さな噴水があったりとお洒落が地で行っているところがいい。セビリアやコルドバのパティオは特に素晴らしく、宿にあるとテンション上がったなぁ。木陰で日記書いたりして。フフ、たまにはGSぽく書いておこう。 つづく
途方に暮れるヤーマン…
つづく。