本編なしの前書きと後書き。いつもの駄文です。
松本清張・火野葦平・森鴎外(好きな順)の裾に触れられたかも?richな北九州でした。
プロローグ(1日目)
北九州空港でいきなりナマ薔薇がお出迎え。出鼻を挫かれる。松か菊か桐か桜のイメージ(おいちょかぶ)は『無法松の一生』からくるもの?
若松バンド
こちらを抜きには語れない「旧古河鉱業若松ビル」
そして赤い「若戸大橋」
昭和37年(もちろん生まれておった)東洋一の吊り橋として開通しました
「旧ごんぞう小屋」
明治、大正と石炭の積出港として隆盛を極めていた若松。石炭荷役をする沖仲仕(これも死語かなぁ)をごんぞうといったとか
美しく整備され、石原裕次郎ポーズをキメたくなります
海上保安庁の船。きゃッ『海猿』!
「石炭会館」
見上げる若戸大橋
「上野海運ビル」
先程が古河財閥なら、こちらはMITSUBISHI
ビル内入口。大輪の薔薇が芳しいホンモノ
ん〜うつくし!
天井アップ
3階にある「Asa cafe」で腹拵え
ガパオライス。スープ、コーヒー付きで@900円也
お隣りのブティック
古い建物の維持は大変です。取り壊し案もあったそうですが、保全を願うのは旅行者の勝手な願いかもしれません
踊り場の窓。まんまブルックリンです
「若松渡船場」
お向かいの戸畑まで船で2、3分。今も大事な交通手段です
通学定期なら1ヶ月630円。今度は一往復してみます(大人@100円)
「皿倉山」
そうです、「新日本三大夜景」のひとつ皿倉山。夜は所用がありケーブルカーの最終時刻にも間に合わず…この視界の悪さ(日頃の行いの悪さと比例)。なにも見えないかも
「上は真っ白でなにも見えません」とケーブルカーのおじさんに立ちはだかられました。私1人のために電気代使うのももったいないので潔くあきらめ、駐車場へ
帰ろっと。
高塔山があるからいいもん、と高をくくったら防水工事中でそちらもおあずけでした。リベンジの炎🔥🔥🔥
お土産物屋さんの見事なランタナ
途中で見かけた素敵なお家
松本清張記念館
思っていたより大きな建物でした。館内は全面撮影禁止でしたが、毛筆の書簡、原稿用紙を埋める筆跡…達筆なのはもちろん絵心も兼ね備えていらゃいました。
記念館入場券に+100円で小倉城庭園も拝見できます。おすすめ
短編のファンです。一番好きな短編はやはり『或る「小倉日記」伝』。第28回芥川賞でした
小倉城と庭園
城郭内にある「第十二師団司令部正門」。
森鴎外も陸軍軍医部長(中将と同格)としてくぐった門
お城後ろ姿
鴎外『舞姫』に因んで植栽された桜「舞姫」
ちょっと休憩。小倉で京都「辻利」のお城ぜんざい。下は寒天でした
お濠に面したこれが正面
お詣りも。「小倉祇園八坂神社」
丁度七五三の祝詞の最中。神主さんの太鼓がまさに小倉祇園太鼓。なかなか他の神社では聴くことができない迫力・勇壮さでした。
松本清張の『黒地の絵』を彷彿とさせます
既に10000歩を超えている?2、3年に一度の快挙です
玄関より振り向いたエントランス
床の間には三幅のお軸。
・小原流生花・釘隠し・竹細工
石蕗があちらこちらに
お庭は振り返る
ライトアップでおやすみなさい
エピローグ(2日目)
「小倉魚町銀天街」
日本初のアーケード街とか
あんなところにお城が見える
スタバの良さはどこで食べても飲んでもいつもの味。旅先のいつもの朝食は小倉京町店です
小倉駅内といってもよい場所に文豪はお住まいでした(旧居が残る鍛冶町からこちら京町にお引越し)
鍛冶町にある旧居への道。
圧倒的歓楽街のようでしたが佇まいのよいお店が。ここのママは綺麗なひとに違いない。ガールズバー前の貼り紙が笑えます
森鴎外旧居
松本清張が徹底的に調べた鴎外とお手伝いさんとの仲。真実やいかに、家は知っている
ヰタ・セクスアリス。
森鴎外の本、恥ずかしながら読破したことはありません…
等身大パネルは鴎外45歳の時。身長161.2と記され、当時の日本人男性平均が155㌢だったので大きなほうでいらしたとか
だそうです。
なんでもバネにする力は必須
火野葦平旧居
「かはくどう」と読むのですな。
第6回芥川賞『糞尿譚』も『麦と兵隊』も読んだことはありません。ダメじゃん
贅を凝らしたお宅は、玉井組として沖仲仕を仕切っていたお父様が、葦平さんの芥川賞印税でご本人の承諾なしに建てられたとか
なんと火野葦平先生、キグレサーカスで3頭の虎が産まれその一頭をこちらのお庭で飼っていらしたそうです。
火野葦平さんが亡くなったあと追いかけるようにライオンも死んでしまったとか。河童好き動物好きでいらしたそうです
お風呂の天井
この時代に子ども用の洗面台まで完備
お玄関の河童
お庭の河童
欄間の河童
河童のごんぞう
仕事場。こちらで1960年自死
アフガンで銃撃をされ亡くなった中村哲先生は火野葦平さんの妹さんのご子息。甥っ子さんでいらしたとは不勉強でした。
この若松の川筋気質も医療・灌漑・農業に尽力なさった中村先生を支えたものだったとか(あしへい通信より抜粋)。
国籍はもとより使用人の区別もなく皆で卓を囲み歓談するのが玉井家家風だったそうです。中村先生と火野葦平さんのお父様が瓜二つで驚きました
「若松市民会館」
こちらに火野葦平資料館があります
清水昆さんの河童
中川一政さんの河童
そして遺書
若松駅
若松を愛した若松からも愛された火野葦平。
駅舎も改札も簡素でしたが、北九州のよい締めくくりをしてもらえました
KIOSKより小さいのですが、構内には「東筑軒」の立ち食い蕎麦屋さんが有り〼
もちろん熱々「ゴボ天肉うどん」。
おばあちゃん2人で切り盛りされていましたが、ひっきりなしのお客さんで駅より?賑わっていました
おまけ
小倉駅前「シロヤ」で買っておいた練乳たっぷりのサニーパン。車にはガソリンを私にはおやつをと周防湾でしょうか、海を見ながら休憩タイム
*トースターで焦げ目がつかない程度に焼いて食べるのがベストだとか
15時に無事空港着。レンタカーを返し出発までの寸暇を惜しみソフトクリームを
GSで教えて戴いた北九州名物「かしわめし」。若松駅でしっかり買い求め、帰宅してお味見。美味しかったです。
文豪と炭水化物三昧の北九州を満喫。今度は晴れ女を担保に夜景を見なくては
それにしても昔の建物はやっぱりいいですね。丸ビルも本当は昔の造りがとても好きでした。隠し部屋みたいなところとかあって。
文豪ストレイドッグス、友人に借りて途中まで読みました。主人公は中島敦なのですね。
火野葦平カッパ好きでしたか。父が所属していた絵のグループがカッパの会だったので、父もカッパ好き。行ったらきっと喜んだことでしょう☺️