季語は四季折々の風情を愛でる日本文化の象徴です。季語に含められる動植物を中心に、写真付きの俳句歳時記風にまとめた「季語シリーズ」、今回は冬の第七弾です。今回も俳号 猫凡で自作の句を入れています。
【一草忌】
我が山口は防府の漂泊俳人、種田山頭火の忌日10月11日。自由律句では尾崎放哉と双璧をなし、二人とも、句そのものというよりはその人生の悲劇性が人を惹きつけているような気がします。
たれもかへる家はあるゆふべのゆきき
秋風あるいてもあるいても
鴉啼いてわたしも一人
ころりと寝ころべば空
ぽつりと木彼の姿か一草忌 猫凡
【帰り花】
本来春に咲く花が晩秋〜初冬に咲くこと。
成り行きに任す暮しの返り花 鯨井孝一
これもまた叶わぬ夢か帰り花 猫凡
【芭蕉忌】
俳聖芭蕉の忌日10月12日。時雨忌、翁忌とも。
通勤も旅路なるべし翁の忌 岩崎照子
細けれど燦たる旅路はせをの忌 猫凡
【臘梅】
ポリネーター(花粉媒介者)の少ない真冬に香り高い花を付け、他の花との競合を避けようとする平和主義者。開花当初は雄蕊が奥の方で広がっていて雌蕊だけが突出(この時期はいわば雌花)、日にちが経つと雄蕊が前方に出て来ていわば雄花となり、自家受粉を避けようとするしたたかさも併せ持つ。
臘梅のかをりやひとの家につかれ 橋本多佳子
臘梅の中に住みたし今朝寒し 猫凡
【立冬】
二十四節気の十九。秋の極みであり冬の始め。冬立つ、冬来たる、今朝の冬、とも。いざ詠めと言われると頭を抱える季題でしょう。
山の子が独楽をつくるよ冬が来る 橋本多佳子
冬来たる空澄み渡り魚信なし 猫凡
尿(いばり)漏り尻の冷たさ今朝の冬 猫凡
【枯蘆(かれあし)】
豊葦原の瑞穂の国を代表する植物アシ。縁起を担いでヨシともいいます。下から上に枯れてゆき、冬を迎える頃には灰褐色のモノトーンとなり、墨絵のような風情を醸し出すのです。
風の中枯蘆の中出でたくなし 橋本多佳子
枯蘆に鴗(そにどり)の虹閃けり 猫凡
【氷点下】【零下】
水の凝固点(氷点)よりも低い温度。氷点は気圧や水中の不純物などによって微妙に変わってきますが、通常は大まかに0℃と考えます。
零下三十度旭川駅弁声を出す 北見弟花
氷点下氷の下に温さあり 猫凡
※自句自解:水のユニークな性質は凍ると軽くなること。そのおかげで湖が氷結しても、氷の下で水性生物が生きていけるわけです。氷の下はもっと冷たかろうと思うのにさにあらず。
【開高忌】
12/9、作家開高健の命日です。旅を愛し、酒を愛し、釣りを愛した開高。つまるところ人生を、人を愛していたのでしょう。彼のモットー「悠々として急げ」、いいと思いませんか?
ウヰスキー塊根植物開高忌 猫凡
【シクラメン】
サクラソウ科の球根植物で、球根の形状から「豚の饅頭」という甚だ即物的な異名があるかと思えば、花の様子から「篝火花」とロマンティックに表現されたり。
シクラメンはシクラメンのみかなしけれ 中村汀女
シクラメン重しの如くのしかかり 猫凡
※自句自解:贈り物としてこの花をいただくことがある。確かに美しい。美しいけれども、ちょっと水切れさせるとすぐヘナヘナと萎れてもう生き返らない。最近は底面給水式のプラポットに入っていることが多いが、これまた曲者なのである。上からたっぷり水をやることに慣れた人間にとって戸惑いしかない。正直に言おう。シクラメンを貰うと、気が休まらないのだ。
【枯蔓(かれづる)】
葛、屁糞葛、藪枯らし、野葡萄などツル性植物の冬姿。
枯蔓は焼くべし焼いてしまふべし 三橋鷹女
鉄は錆び蔓は枯れ果て結ばるゝ 猫凡
【都鳥】
百合鴎(ゆりかもめ)の風雅な呼び方。都鳥といえば業平のあの歌、ですね。あの歌により都鳥は切ない恋心や望郷の念と分かち難く結びついています。
名にしおはばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと 在原業平
※ねこ訳:何と、お前は都鳥という名を持つのか!それならば教えておくれ。京に残してきたあの愛しい人は健やかでいるか?
可惜夜のわけても月の都鳥 黛まどか
※ねこ流解釈:可惜夜は「あたらよ」と読む。二人でいられる貴重な夜、明けてしまうことが惜しまれるこの夜だ。 月よ都鳥よ、どうかこのひと時を永遠に。燃えるような恋心を清冽な情景で詠い上げた忘れ得ぬ一句。
【水鳥】
水に浮かぶ鳥の総称。多くは北から冬を越すために渡って来る。浮いたまま眠る姿を浮寝と呼び【浮寝鳥】【浮鳥】も冬の季語となっている。憂き寝に通じ、古来ままならぬ恋心を詠むことが多い。
水鳥の沼が曇りて吾くもる 橋本多佳子
微笑みの陰に涙の浮寝鳥 猫凡
【金柑】
晩秋から冬に熟す小型の柑橘で、歳時記により秋だったり冬だったり。私は冬派です。鈴なりの暖色が冬空に似合うし、風邪気味の時甘く煮詰めて喉を癒すイメージがありますからね。
金柑の甘さとろりと年迎ふ 鈴木真砂女
金柑に陽射し一年分在中 猫凡
【青邨忌(せいそんき)】
俳人山口青邨の命日12月15日。盛岡生まれで東大工学部名誉教授でもあった青邨。みちのくを愛し、雑草を愛し、鉱物に造詣の深い人でした。青邨の冬の句を三つどうぞ。
藻疊はよきや鴨たち雨の中
朴落葉いま銀となりうらがへる
雪よりも白き雲来て雪かくす
よく晴れた青邨忌に。
森温し黄葉温し青邨忌 猫凡
【寒椿】
単に椿は木ヘンに春で春の季語。冬に咲く早咲きの椿は「寒椿」「冬椿」「早咲の椿」として冬の季語です。
悔もちてゆく道ほそし寒椿 村野四郎
氷中にあかり灯すや寒椿 猫凡
【雪】
日本の美を象徴する雪月花の一。日本人ほど雪を細かく分類し言い分ける人種はないでしょう。
いまはには妻ばかりあれ雪の夜 小鳥幸男
雪が降る僕も世界も音も無く 猫凡
【冬夕焼】【寒夕焼】
束の間のグラデーションを冬枯れの雑木林や冷たい海に眺める。冬ならではの趣です。
冬夕焼しばしロスコが来てをりぬ 井田美知代
※ねこ註:ロスコとはアメリカの画家マーク・ロスコのこと。カラーフィールド・ペインティング、つまりキャンバス全体を色数の少ない大きな色彩の面で塗りこめるという画風が特徴的です。
暗き地に巡りて照らせ寒夕焼 猫凡
※自句自解:水平線の一点に収束してゆくような冬の夕焼けを見つめていて、地の裏側で凍えているであろう人々のことが想起された。
【蕪村忌】【春星忌(しゅんせいき)】
与謝蕪村の忌日12月25日。蕪村の辞世とされている句を挙げます。
白梅に明くる夜ばかりとなりにけり 蕪村
※ねこ流解釈:いろんな解釈がなされていますが、辞世ですから私はこうとらえます。
白梅が明朝には咲くであろう、そんな夜。この一夜限りで自分の命数は尽きるのだろう。もはや白梅を眺め、その香りに酔い、句をひねることも叶わぬ夢なのか。
白梅の蕾よ綻べ春星忌 猫凡
【年の市、歳の市】
年末に注連飾りなど正月用品を商うために立つ市。年末の慌ただしさ、新年を迎える浮き立った気持ち。エネルギーに満ちた空間が出現します。
押合を見物するや年の市 曾良
豚頭の顔穏やかに歳の市 猫凡
※自句自解:上野アメ横の年の市は国際色豊か。中国人向けに豚の頭などが並べられています。雑踏の只中でのその顔の静穏さ。生きることの呵責無さを諭すかのように。
【冬眠】
動物が代謝を落として半ば死んだようになり、厳しい冬をやり過ごすこと。
母は逝き亀は冬眠していたり 森田智子
今君は冬眠中です死んでない 猫凡
お楽しみ頂けたでしょうか?季語シリーズは能う限り続けていくつもりです。次回もどうぞお付き合い下さいね。
蝋梅は冬でも温もりを感じさせてくれる貴重な花ですね。
私以外の俳句はプロの作なので、そこに自分の句を並べるのは無謀とも言う😆
最後の写真はカナヘビです。下のは剪定して放った柳の枝かも。