上杉家14代最後の出羽国米沢藩主、上杉茂憲(もちのり)伯爵のお庭です。浜離宮を真似たお庭ですが、お隣りの敷地に付録のような「置賜の庭」がありました。
版籍奉還
明治の造りですが、大火で焼失。大正時代に再建されたそうです。正門。お殿様から伯爵へ
こちらが本館の玄関。現在はレストランとして営業中。コロナ禍で予約者のみ
下駄も寂しそう
伯爵庭
お庭への門。
入場料@0
右か左か
素敵な佇まい。写真左っ側には撮影班が控えていたのでご遠慮。お庭に進みました
鹿鳴館ならぬ鶴鳴館と呼ばれたお屋敷。お庭全体は浜離宮をイメージしたようです。
浜離宮といえば、はい、ご一緒に。池泉汐入式式庭園❣️ただし、こちらは海の水は取り込めません
上杉家
龍とくりゃ、
毘沙門とくりゃ、上杉謙信です
中興の祖上杉鷹山は第9代米沢藩主です。
なせばなる なさねばならぬ なにごとも
ナセルはアラブの大統領と覚えました。
*ケネディ大統領が、訪日の際、日本で一番尊敬する人物に、こちらの上杉鷹山公を挙げられたとか
置賜の庭
鷹山は養蚕を薦め、台所仕切り料(藩主が自分で自由に使えるお金)で、桑の木を買い、領内の希望する者に無償で配ったとか。え、偉い✨
その桑の木のDNAが残る「鷹山桑」。若い葉はアサガオの葉のようで育つとハート型に💚
「置賜の庭」見取り図
薬草園
行屋(ぎょうや)。
置賜地方には古くより山岳信仰があり、成人した男子(13歳から15歳)は、羽黒山・月山・湯殿山に登拝する慣習があったそうです。入山前のおきよめ、水垢離の場です
アップ。ぶーふーうーのお家みたいに可愛いけれど、寒くて暗くて寂しかったでしょう
胸にじーんときた「草木供養塔」。萩が満開でした
生垣にもウコギ。鷹山の勧めで、米沢にはウコギの生垣が今も多いのです
かてもの
かてものの「かて」は、糧でも粮でもない字、変換できず。凶作時に備える救荒植物を指すようです。鷹山の教えで、山野草や草木果実80種が伝播されていて、母屋レストランにも「うこぎご飯」がメニューにありました(もちろん米沢牛もあります)。
差し詰め現代なら昆虫食?GSの皆さまで、お献立ができます
おまけ
建学の精神ならぬ建藩の精神が、風土の中に色濃く息づいていて、とても胸を打たれました。
謙信に始まり、中興の祖鷹山、最後のお殿様、上杉茂憲公も自費でイギリスへ留学なさったり、沖縄県知事を務めたり、必要あらば自費を投げ出したり、ととても人望の厚い方だったようです
素敵な庭 散策 のんびりできました、ありがとう✨