潜伏した空き家の庭先に咲いていたのは、チューリップであった。
たぶん、チューリップだ。
子供の頃、校庭の花壇に球根を植え育てたことがあるから、知っている。
掃除は、よくサボったが、花壇の水やりだけは、真面目にやった。

思えば、子供の頃から、気に入った事だけをやり続けてきた。
勉強はやらなかったが、教科書に載っている家康やジョン・F・ケネディやミジンコの絵なんかをノートに描き綴った。
やりたい事をやりたいだけの理由で生徒会に立候補した。
根回しとマメさで当選したので、文化祭もやりたい放題を満喫した。
それなりに充実した学生時代を過ごしたあと、小さな玩具メーカーの営業職に就いた。
そこでも、やりたい放題やって、そこそこの成績をおさめたが、社用車で海に行ったり山に行ったりとサボる事が習慣になりはじめたので、辞めた。
サボるという事は、自分にとって仕事が楽しくないということだったから。
楽しくない事は必要としない。

それでも、やりたくない仕事に直面する時もある。
そう、今が、それだ。
初めは、若い女の子を使ったロマンス詐欺のようなものだった。
騙して脅し、金を取る、美人局的な仕事だ。
金持ちのエロ親父を騙す事に罪悪感はなく、むしろ積極的に楽しんでいた。
騙された爺い達にとって、詐取された金は、はした金だったし、己がやった事の後ろめたさから被害届をだす者もいなかった。
それが、今日は、金持ちの助平な奴等ではなく、平凡な小金持ちの年寄り宅を見張っている。
かけ子が情報収集したものの、金銭の詐取まで、こぎつけなかった家だ。
隣の空き家に潜んで、家族や人の出入り、就寝時間、外出の時間帯などをリサーチする。
人の良さそうな、どこにでもいる老夫婦。
ただリサーチして、上に報告するだけでいい。
俺は、何も手出しはしない。
だが、俺の報告書が、のちに、どのように使われるのか、じゅうぶん理解していた。

婆さんが勝手口から出てきて、庭に水をまいている。
その家の庭にもチューリップが咲いていた。
婆さんの顔は、昔、水やりをしている俺に「おつかれさま。花も喜んでいるね。」と笑顔で話しかけてくれた先生に、何処となく似ていた。

苦痛の十日間が終わった。
俺は報告書をメールで送った後、行方をくらました。
貯めていた金で、前から行きたかった場所を周った。
俺のような下っ端の雑魚は、誰も探さないだろう。
他にいい儲け口があったのかと思われているかもしれない。
俺の代わりは、いくらでもいた。
さあ、これから何をして生きていこう。

あの婆さんは、変わらず庭で水をまいているだろうか。
あの家は、俺の報告書上、誰も住んでいないことになっているから、リストにあがることは、二度とないだろう。

【爺さん、自宅にて急死。
葬儀後、婆さんは、息子夫婦に連れられ家をでる。
現金や通帳、金目のものは、残されていない模様。
近隣の話では、婆さんは、認知症が進んでいるため、今後、家に戻る事はないという。】


ざっとだが、俺の報告書の内容だ。
金蔓の家が一軒、消滅しただけの話で、成功報酬制なので俺への手当て金も発生しない。
俺はタダ働きというわけだ。

だが、やりたい事をやったのだから、それで満足だ。

(爺さん、婆さん、長生きしろよ…)
縁もゆかりもない老夫婦の未来を思い描くオレって、どうよ
苦笑

今夜は、すすきので蟹食うぞーっ！！
ひとりで、はしゃぎながら宿泊先の露天風呂に飛び込むと、仰向けになって全身を浮かせた。
空しか目に入らない。
空が目に沁みて、俺は泣きたくなった。

青いんだよな、空って。