植物と人と心のつながり
去年の11月頃から、喘息の発作が出て咳が続き、大分体力が削られました。
その中で癒しになったのが、植物の緑。
通院する土曜日は、散歩がてら街路樹やオシャレな町の植栽の植物たちを眺めては幸せな気分に浸れる、贅沢な休日です。
5月はいい季節ですね。
いろんな花が咲いて、バラの植栽エリアは華やかになるし、サツキやツツジが美しく緑を彩るし、生き生きとした新芽がグングン育って、初夏の陽射しで生命の輝きが増す。
本当に、いい季節だなあと感じます。
活力が溢れてくる。
物寂しい冬の風の香りから、やわらかで華やぐ春の香り、初夏の乾燥気味な若葉の香りが混じる風…。
植物たちの姿とともに、風の香りを楽しめるのも、四季がある環境ならではですね。
明るい陽射しの下、木漏れ日を浴びながら青空を眺められるというのは、なんと幸せなことだろうと感じました。
植物がなければ、生き物たちは生存できないほど、重要な存在です。
お互いに、与え、与えられる関係で助けられている。
お互いに命あるものだからこそ、言葉でのコミュニケーションがとれなくても、興味を持って接していくことで、感覚でわかってくるものがあるなあということを思いました。
自分が植物だったら、いま根っこをいじられたらどれぐらいのダメージを受けそうだろうか?
知識が増えてくると、そういった想像がしやすくなってくる。
「もし〜だったら?」という感覚が増えてくると、苦手な人にも優しくできそうじゃないですか?
植物の特性を知るように、この人はこういう種類の人だからと、ある種の割り切りができそうかなと。
フラットな感じで接していたら、意外な一面を発見したりとかね。
植物でいうなら、こんな花が咲くんだ〜へぇぇ〜! という感じでしょうか。
感情にダメージを与えない認識の仕方とでも言うのかな。
植物に真剣に向き合うと、人間関係も円滑になりそうな気がします。
植物のある生活というのは、幸せに満ちています。
虫さんたちとの戦いもあったりしますが、幸せですね。
病院に行って、お買い物をして、ちょっと立ち止まりながら美しい植物たちを眺めて、満たされた気分で帰ってきたときに、マンションのエントランス前に植えられている大きなケヤキに「おかえりなさい」と迎えられて見上げていたら、こんなことを書きたくなった次第です。