シュロの木ばかりこんなにまとめてアップしているグリーンスナッパーもいなければ、シュロの木の背負う暗い秘密を知るものもいない、、、日本でただ一人の緑の空き家調査官である、ボク以外は、、、冴え渡る推理がスリリングな6話、7話を収録。
1 深夜の空き家 第6話「失われた時を求めて」 ~マルセル・プルースト
は~い、よいこのみなさ~ん、こんばんは~。たのしい空き家のお時間が始まりました。今日も元気に、もじゃもじゃお勉強をしましょうね~。
さっそくこの、屋根がボロボロにもほどがある空き家のお写真、ここに隠れている動物は、なにかな~? わかる人?
はい、めめぞうちゃん。
そうね~、クジラさんですね~。めめぞうちゃん、いいこ、いいこ。
、、、家なのになぜか、緑色のクジラがぽっかり浮かぶ夢のある家、、、もとい、ドリーミーな空き家。空き家はとってもミステリー。その謎を、今夜、解くっ!!
犯人は現場に戻るという、、、緑の空き家を数多く見て歩くうちに、気づいた。なぜか、いつも、決まって、同じ、木の陰ばかり、チラついていることに、、、
そいつは、誰だっ!!
2 犯人はシュロ、棕梠の木だっ!!
ええーっ!! もう犯人言っちゃうの!!
まだ2ページ目よ!! いつも無駄話が長いのでサクサク行こう。
ほんとよくあるの、このシュロ。で、本日はお写真が30枚もある。ぜんぶこっちでアップすると大変なので、まとめの方に回しますけど、それくらいシュロはよく見る。空き家の庭に。
それでもだいぶ捨てたよお写真。ありすぎて。これから出番を控えている ボスキャラ級 の空き家にも、シュロは当然のようにみんな混じってるから、そこ注目。
じゃ、なぜ、緑の空き家に決まってシュロがあるのか? 謎解きの旅へと出かけよう、、、
その前にちょっと待って!!
雪見だいふく、食べてくるね。
3 あのー、緑の空き家もね、歩いてて遠くの方に見えるのね、木が爆発してるから、すっごい遠くからでも。
胸がざわつく瞬間!! 空き家かしら?
近くまで行って確かめないと、、、空き家だったらお写真を撮らなきゃ、、、で、わざわさ歩いて行って、空き家じゃなかったときのガッカリ感たるやっ!!(ちょっと樹木が多めのフツーの家だったとか)
空き家なんか大抵、万民にとってガッカリなもんでしょ? それが空き家じゃなくてガッカリするっつー。なにこの優越感。もう1回言わせて。
「空き家じゃなかったときのガッカリ感」
こんな不遜な物言いが、許されるのはボクだけの特権なのでは? 日本でただひとりの、モジャモジャ空き家捜査官の、このボクオンリーの。
だから、庭にシュロの木があると逆に助かる。かなりの確率で空き家だから。最近はシュロが見えたら行くようにしている。
シュロは空き家のサイン、広告塔、メルクマール。
以上、実践!! 空き家探し講座でした。
4 それではなぜ、空き家に高確率でシュロの木があるのだろうか? ここからプロファイリングに入る。
文学界最高のアームチェアディテクティブ=マルセル・プルーストにご登場願う。
虚弱体質にアレルギー持ち、神経過敏で物音が苦手、という困ったちゃんプルーストは、自宅の窓にびっしりコルクを敷き詰めてカーテンを閉ざした部屋に、蟄居する。
静かな時間を執筆に当てるため昼夜逆転の生活が始まる、、、
元祖おとなの引きこもりである。
規則正しく灯しては消す、ローソクが彼の太陽だ。
そうして書き上げたのが大部「失われた時を求めて」。文学界の至宝である。
ちくま文庫で全10巻。各巻500~600ページ。1と8と10の3冊は、800ページの厚さである(コロタン文庫かっ!!)。
もちろん、全ページ、隅から隅まで字でギッシリ。ラノベ専門の出版社だったら、永遠にダメ出しをくらい続けたことだろう。
5 紅茶に浸したマドレーヌをお口に放り込んだ瞬間、身震いするほどの幸福感が全身を駆け抜ける、、、これは何?
それは、そうしてマドレーヌを食べていた幼少期の甘い記憶。味覚&嗅覚=感覚の刺激がスイッチとなり、意識の流れがフロウして、幸福だった幼年期=失われた時を、時空を超えて今ここに、リアルに現前させる、、、
これが「失われた時を求めて」のエッセンス。その手法を流用する。
どの大人も産まれたてはみな赤ちゃんだった。家だってそう。今までボクが見せてきた数々のボロ屋敷も、産まれたばかりのピカピカの、新築時代があったはず、、、
たいてい幸福な幼年期、家もきっと幸福だったであろう。時を重ね住む家族が変わっても、壮健期までは支えてきた。そして家も老年期に入るともはや、姥捨山、もとい、姥捨家。
そこを必要とする家族はもういない。やってこないネクストファミリーの代わりに、人の建て捨てたそれに今、住まっているのがなぜか樹木、、、
それが、緑の空き家問題の、わりと本質。
6 シュロは空き家のマドレーヌなのである。ボクはいつしか、朽ちた空き家に朽ちたシュロを見つけると(視覚の刺激)、その場で自動的に、シュロが植えられた日の姿を、その家の新築の頃まるごとを、勝手に思い浮かべるようになってしまっていた、、、
時を戻そう(ぺこぱ←古い)、、、
ピカピカのマイホーム、まだ若いパパとママ。幼い子どもたちがいたかもしれない。前途は洋々、幸福の船出。引っ越しも終え新たな生活のお供とばかり、庭の一角にシュロの木を、植えたあの日に帰りたい、、、(ユーミン)。
今はこうして、ひとり寂しく空き家に取り残されたままの老いたシュロも、その日にはまだ、希望に満ちた若木だったはず、、、
捕捉 なぜシュロだけ特別か。圧倒的によく見かけることに加え、シュロは若木の姿が想像しやすい。モジャモジャの木はどこからどこまでが木なのかすらわからん、そんでシュロ。
7 このプロファイリングが正しければ、ボロボロの空き家が新築であった50年~70年前、庭にシュロの木を植えるのが、ブームだった時代があったことになる。
この推理はおそらく正しい。さもなければこんなに、空き家にシュロを見かけることの、説明がつかない。
シュロを植えるのがトレンディーだった時代があった。そして、その時は失われている。今、建て売りされているどの新築の家にも、とんとシュロの木は見かけない、、、
失われた時、である。
さらに言えば、庭木にシュロを植えることがトレンティーだった時代が確かにあった記憶すら、失われている。緑の空き家ばかりを見てきたボクが今夜、こうして「深夜の空き家」で見い出すまでは、、、
見いだされた時。
しかしその時は、求める者すらもはや誰もいない時である。日本でただ一人のモジャモジャ空き家捜査官のボク以外には、、、
失われた時を、求めて。第1部完。
8 は~い、じゃよいこのみなさ~ん、これからご本をいっしょに読みましょうね~。「うしなわれたときをもとめて」です。
あらっ!! どうしたの、けいちゃん? ん、おしっこもらしちゃったの? あらやだ、また? 昨日もおもらししたでしょ、おしっこしたくなったら先生に言いなさいって言ったでしょ!! ちょっと~、よしこ先生~、けいちゃん、おトイレに連れてって、、、
、、、読者の皆様たいへん失礼いたしました。けいちゃんがまたお粗相をやらかしましたので、その間、プルーストの引用でも読んで待つことにいたしましょう。
あの~、なんでボクがこれ読んだか、最後に説明しますけど、去年読んだばっかだからまだよく覚えてて、ほんとに空き家のシュロを見て、新築時代を勝手に想像し、涙ぐんだりしてたのよ。
そんでここまで書いて、念のためマドレーヌのとこ読み返したら、まったく同じことが書いてあったの、プルーストの筆で。
一文が長くて改行できないのも、プルースト体験ですんで、そのまんま抜粋。
9 >私はケルトの信仰をいかにももっともだと思う、それによると、われわれが亡くした人々の魂は、何か下等物、獣とか植物とか無生物とかのなかに囚われていて、われわれがその木のそばを通りかかったり、そうした魂がとじこめられている物を手に入れたりする日、けっして多くの人々には到来することのないそのような日にめぐりあうまでは、われわれにとってはなるほど失われたものである。
ところがそんな日がくると、亡くなった人々の魂はふるえ、われわれを呼ぶ、そしてわれわれがその声をききわけると、たちまち呪縛は解かれる。
われわれによって解放された魂は、死にうちかったのであって、ふたたび帰ってきてわれわれとともに生きるのである。
(「失われた時を求めて」ちくま文庫1巻 P73 マドレーヌの手前より)
、、、ね。ドンピシャでしょ。今はいない居住家族のそこに刻んだ記憶が下等物である植物に囚われていて、その木のそばを(ボクが)通りかかると、ふるえ、呼ぶ。その声をききわけると、呪縛は解放され、死に打ち勝ち、再び共に生きる、、、
ちなみにお写真の家、アンテナ折れてるのに注目。
10 ここで問題を整理しよう。「深夜の空き家」で一貫して考察して来たのは「空き家問題」ではない。それならどんなに簡単であったろう。他に呼び名がないので「緑の空き家」と呼ぶことが多いなにか、たぶん空き家と樹木のフュージョンである。
この視点はこれから深めて行きたいが、今夜に限って言えば、古い空き家を見てそれが「古い家」だとイージーに結論づけることへの戒めに他ならぬ。
人がいつそこを明け渡し、樹木がそこに居住し始めたか、そのバトンタッチ完了が緑の空き家の年齢を決める。
家がボロでもギリギリまで人が住んでいて、つい最近そこが無人となったのなら、樹木はそれほどモジャモジャではない、緑の空き家としてはまだ、若いことになる。
このお写真のシュロを見て欲しい。わりとキレイに刈ってある。つまり、この空き家は緑の空き家歴はまだ浅い、若い緑の空き家であると、言えそうだ。
だからなに? と言われればそれまでだが、、、
つまり、シュロの樹齢や高さそして枯れた葉っぱの放置具合から、そこが空き家となった大まかな年代が推定できる、、、これがシュロによる、緑の空き家年代測定方である。
シュロは一直線に伸びる。モジャモジャの雑多な庭木では、それは不可能なのだ。すなわち、、、
シュロは緑の空き家のリトマス試験紙である(←重要‼️ 期末試験に出ます)。
11 トキワ荘!! 昭和のレジェンド漫画家がみんな住んでた「まんが道」でおなじみの聖地!! がっ、そっくり再建されたの、去年。コロナで行けなかったのに、こないだやっと行ってきた。お写真みて。
ほら、玄関にシュロの木があるでしょ? トキワ荘って1952年に建てられたの。70年前よ。年代ぴったり。
で、トキワ荘は古いアパートメントだから、木造でしょ。でも今は耐震基準とかあるから、鉄筋で建てるしかなくて。
木造のアパートを鉄筋で再現し、お化粧でせいぜい古く見せる、、、ジオラマ。プラモデルだよ、1/1の。
看板とか頑張って古く作ってあんだけど、畳とかやっぱ新しいのよ。そして、このシュロも、ほら若木でしょ。
こんな木なんか、グリーンスナップやってなかったら、注目しなかったよ。
12 「深夜の空き家」の記念すべき最初のお写真、肉厚な葉っぱの宝石箱、昼に再掲載しておいた、あの家の「玄関側」から写したお写真が、↑これ。本邦初公開。
見にくいけど、シュロあるでしょ? だから、キレイに葉っぱで厚化粧して年齢をごまかしているけど、この家はけっこうな年増であると、ボクは睨んでいる。
まとめ>>シュロほど空き家に似合う木はない。まめなお手入れを怠ると、ほんときったなくなる、尾羽を打ち枯らしたように、そのバッチいのがズンドコ伸びていくのだから、、、
今、新築住宅の庭にシュロを植える人はまずいない。
しかし、いつまでも新築の家はない。50年後、空き家となったその家に、シュロがないことだけが、心配だ。
半世紀も後の未来を生きている人たちに、我々の生きた記憶を思い起こさせるような、ささやかなマドレーヌ替わりとなる樹木をなにか、植えておかねば、、、
やはりシュロがいいだろう。シュロは空き家によく似合う。
未来の緑の空き家のグランドデザインを、真剣に考える時に来ているのでは。それかここらで空き家問題をきちんと解決し、後世へ残さないかの、どちらかだ。
13 おしまいに、なんで「失われた時を求めて」を読んだかっていうと、去年コロナでお仕事がひと月お休みになったの。
いつか読もうと思ってたのよ。いつか読もうと思う本なんか、読まないじゃん。そのいつかが今だって。ひと月半かかったけど、読むとちゃんと面白いのよ。
コロナになって唯一、よかったこと。
じゃ、耳を折っといた箇所をパラパラ読み返し、見つけた箇所がわりといい感じでしたので、引用してお別れです。
1920年代の小説ですんで、人間の生き様が自然から遠のくにつれ失うなにか、惜別のようなものが、描かれているのでしよう。
今夜は字が多すぎましたが、来週はもっと短めで気楽に読める初期テイストに戻りますんで、、、読んでくれないと、18キロ太っちゃうぞっ(暴飲暴食で)!!
14 >それは、いまでも思いだすが、野原のまんなかにふと汽車がとまったときだった。夕日が鉄道線路に沿った一列の木々をその幹のなかばまで照らしていた。
「木々よ」と私は考えた、「きみたちがぼくにいうべきことはもう何もないし、ぼくの心も冷却してもうきみたちのいうことが耳にはいらない。
ぼくはそれでもいまこうして自然のまんなかにいる、だがぼくの目は、きみたちの光ったいただきときみたちの陰った幹とを区切っている線を、冷淡と倦怠とで見とどけるだけだ。
これまで自分を詩人だと思いこむことがあったかもしれないが、いまはそうではないのを知っている。
ぼくにひらかれようとしているかくも無味乾燥な生活の新局面では、もう自然がつたえてくれない霊感を人間たちがぼくに吹きこんでくれるかもしれない。
だが、ぼくが自然をうたいえたかもしれなかったあの年月は、けっしてかえらないだろう。
(「失われた時を求めて」ちくま文庫 10巻 P295)
じゃ、あとはシュロ空き家写真集を。家がことごとく古いのにも注目。
これも使いたかったお写真。いい味だしてるボロ家。
これ、横浜で見つけた。たぶん空き家だと思うが、ボーダーラインかな。シュロになんか貼ってあったの、、、
資源回収の案内だった。木に貼る?
あの樹木の向こうに家が埋まってるのたが、、、
トタンの古い家。でもシュロはわりとキレイでしょ。最近まで住んでたとみた。
これもトタン。
これも古い家。めんどくさくなってきた。
これはショッピングモールまるごと空き家。シュロ3本。
トキワ荘のように、シュロってある時代まで、アパート庭木の定番だったんじゃないか。
アパートまるごと空き家になってんのもよく見るんだけど、シュロもセットでよくみる。
かくれシュロ。
ここはね、すんでんの。吟醸だからわかる。車あるっしょ。夜になると電気ついてるから。もう二階とか雨戸閉めっぱなしよ。どうすんだろね、こんなに高くなっちゃって。
これ、新宿でみた、ビルとシュロ。ここも完全に空き家っぽかったんだけど、玄関にわずかに住んでる気配があった。
もうこんなもんかな。
ここはハードロックカフェ。
じゃ最後はホテルカリフォルニアっぽいお写真でサヨウナラ。