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花の風土記の一覧

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悪代官
No.492 ヤマユリ(山百合) ユリ科ユリ属 その2 昭和34年の夏、尋常小学校小川小学校戸渡分校の児童か修学旅行で皇居を訪ねました🎵 その皇居で、寂しさを感じた子どもたちは、修学旅行から帰ってから、先生と話し合ったそうです🎵 子どもたちが考えたのは、戸渡の山百合で皇居を彩ること🎵 子どもたちは毎日暗くなるまで、休日返上で山百合の球根を探したそうです🎵 昭和34年11月、山百合の球根約3000個が吹上御所に献納されました🎵 吹上御所に咲いた山百合に、強く心引かれた皇太子殿下と美智子皇太子妃殿下(当時)は、その山百合を贈ってくれた、小川尋常小学校戸渡分教場の子どもたちに会ってお礼をいいたいと願っていました🎵 そんな折り、昭和36年6月に小名浜港での放魚祭に皇太子殿下と美智子妃殿下が御臨席することになりました🎵 放魚祭のために御臨席することになった皇太子殿下と美智子妃殿下は分校の子どもたちに会って、直接お礼をしたかったのですが、悪路のため、平駅での面会になり、その折に新美南吉全集三巻を贈りました🎵 その後も、戸渡分校の子どもたちと皇室との交流は続いたそうです🎵 美智子上皇妃殿下といえば新美南吉の『でんでんむしのかなしみ』であり、『悲しみは誰でも持っているのだ。わたしばかりではないのだ。わたしはわたしの悲しみをこえていかなきゃならない』そう思ったでんでんむしはもう嘆くのをやめたのだった🎵 その1はNo.93です🎵 裏山の青萱ぬけいで咲く百合の涼風のむた大きくゆらげり 木下利玄 裏山
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悪代官
No.477 シダレヤナギ(枝垂柳) ヤナギ科ヤナギ属 その2 シダレヤナギは雌雄異株です🎵 この花はその1の木とは違いますが、雄株の雄花です(撮影日3月31日)✨ かつて奥州街道の宿駅として栄えた那須町芦野には、「遊行柳」があります🎵 「遊行柳」は歌枕にもなっていますが、遊行柳の名は藤沢市にある遊行寺の歴代の住職が巡教で必ず訪れたことに由来します🎵 「遊行」とは時宗(開祖:一遍(1239~1289年))のことで、総本山の遊行寺(正式名称:清浄光寺)は箱根駅伝では有名なポイントですよね🎵 何故、遊行寺の住職が代々訪れるようになったのかはこの伝説によります🎵 室町時代の文明3年(1471年)に、遊行19代尊皓(そんこう)上人がこの地を訪れたときには、この遊行柳は、朽木の柳、枯木の柳、清水流れる柳と呼ばれていました🎵 すると、どこからともなく老翁が現れました🎵 この老翁は柳の精で、上人が念仏を唱えると、上人に感謝の意を伝え、消えていきました🎵 あとには、朽木の柳だけが、そこには残っていました🎵 この話は謡曲『遊行柳』として今に伝わります🎵 そのとき、老翁が上人に、西行が詠んだ歌を語るのですが、その歌は、次の歌です🎵 道のべに清水流るる柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ 西行 新古今和歌集 巻3 夏歌262
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悪代官
No.462 キョウチクトウ(夾竹桃) キョウチクトウ科キョウチクトウ属 その2 夾竹桃は有毒植物で、特に樹皮や根の毒性が強く、原産地のインドでは「馬殺し」の名があります💀 毒があるくらいだから、 条件の悪いところでも育ち、公害にも強いので、街路樹にも利用されます🎵 📚️📕📚️📕📚️📕📚️📕📚️📕 広島市に原爆が落とされたのは1945(昭和20)年8月6日午前8時15分です🎵 原爆が落とされた広島は、今後70年(75年ともいわれる)は草木の一本も生えないだろうと言われました〰️💣️💥 原爆投下から数年後、そんな焦土とかした広島に真っ先に咲いたのが、夾竹桃でした🎵 広島市民はその夾竹桃の花に、復興への希望と光を見たのです✨ その夾竹桃に今度は広島市民が応えます🎵 昭和48年10月3日の「市の木と花を選んでください」の市からの告知に、広島市民は夾竹桃を選びました💕 候補は、フヨウ、カンナ、キョウチクトウだったそうですが、夾竹桃はダントツの1位だったそうです✨ 昭和48年11月3日、広島市は夾竹桃を市の花としました🎵 広島市の夾竹桃は、毎年8月6日が花の盛りを迎えるそうです✨ 因みに、市の木はクスノキが選ばれました🎵 『夾竹桃のうた』には、広島、長崎、沖縄が出てきます🎵 日本人が決して忘れていけない日が4つあります🇯🇵 6月23日 沖縄慰霊の日 8月6日 広島平和記念日、広島原爆忌 8月9日 長崎原爆の日、長崎原爆忌 8月15日 終戦記念日 夾竹桃花なき墓を洗ひをり 石田波郷
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悪代官
No.443 クマガイソウ(熊谷草) ラン科アツモリソウ属 その2 クマガイソウ(熊谷草)は、アツモリソウ(敦盛草)と切っても切れない関係にあります🎵 アツモリソウ(敦盛草)は、その唇弁を平敦盛の背負った母衣(ほろ)に見立ててその名があります🎵 クマガイソウ(熊谷草)は、源氏の武将、熊谷直実の背負っていた母衣に見立てたものです🎵 どちらも母衣が出てきましたが、何が違うのかと言うと、母衣の「色」です🎵 平氏は紅、源氏は白です🎵 ですから、アツモリソウの花弁(母衣)は赤で、クマガイソウの花弁は、白(実際は淡いピンクです)です🎵 敦盛と直実が戦うのは、源平合戦のうちの一ノ谷の戦いです🎵 その戦いで敦盛は直実と一騎打ちをし、落馬した敦盛の首をとるため馬から降りて敦盛の顔を見て驚きます🎵 敦盛は、自分の倅(せがれ:子ども)と同じくらいの幼さの残る顔だったからです🎵 この時敦盛は15歳、直実は刀を抜いたものの、見逃そうとするのですが、味方が許さず、仕方なく刀を振り下ろします🎵 この時敦盛の真っ白な母衣は血で紅色に染まっていったといわれます🎵 直実は、この戦の後、敦盛を弔うため武士を捨て、僧籍に入りました🎵 参考までに、信長が「人生50年、、、」と舞う能は「敦盛」です💕 また、熊谷次郎直実は埼玉県熊谷出身です💕 熊谷市ではクマガイソウは幸安寺に行くと見られます🎵 なお、熊谷次郎直実の菩提寺は、熊谷市の熊谷寺(ゆうこくじ)です🎵 熊谷草見むと訪ねる山の寺 青柳志解樹
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悪代官
No.321 ヤブツバキ(薮椿) ツバキ科ツバキ属 その2 ヤブツバキです🎵 青森県の夏泊半島北端の通称椿山には1万数千本のヤブツバキが自生しています🎵 『ツバキ自生北限地帯』として大正11年10月12日国の天然記念物に指定されています🎵 この椿山には次のような伝説が残されています🎵 その昔、越前商人横峰嘉平という人が船で交易に来て、いつしか村の娘お玉と契りの末は夫婦になろうと思っていました🎵 嘉平は商用のため一時越前国に帰らなければならなくなり、お玉は京の女が付けている椿の油が欲しい、今度来るときはその実を持って来てください、絞って塗りたいと名残を惜しみ泣いて別れました🎵 お玉は嘉平を待ち続けたが、約束の年になっても、そして次の年も船は来なかった🚢 待ち焦がれたお玉は、約束に背いた嘉平を深く恨んで海に入って死んでしまいました🛳️ 村の人々は深く悲しみ、海が見えるこの地にお玉の墓をつくって埋めたそうです🌊 3年を経た次の年、嘉平は約束の椿の実を持ってきたが、お玉の死を村人から聞いた嘉平は倒れんばかりに嘆き悲しみ、せめて慰めにと椿の実をお玉の墓の回りに埋めてやりました🎵 それが芽をだし、年々繁殖し、椿が山を覆うようになり、今日の椿山になったそうです🎵 ありし世のその俤の偲ばれて 今も八千代の玉つばきかな 大町桂月
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