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花色癒しの一覧

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天空のバラの五線譜
2021年7月5日(月)、曇り時々雨。 投稿写真は、我が家の庭の一部の風景。四季咲き、返り咲きのバラが、かなり大きく成長している。とくにつるバラ「ピエール・ドゥ・ロンサール」の返り咲きはすごい。シュートがたくさん出て、花も春ぐらいほど、花を咲かせている。花の高さは7mぐらいに達し、3階の手すりに迫っている。昨日と今日は、そのピエールをたくさん切り取り、近所2軒にも配ってきた。 つるバラ「ブルー・ムーン」、「フラウ・カール・ドルシュキ」、「新雪」、「バーガンディ・アイスバーグ」、「アンジェラ」、「ティージング・ジョージア」の成長ぶりには、眼を見張るものがある。 毎日、私がバラの花を摘んで、妻が家の中にバラの花を飾り、その色の素敵さと香りで、心がとても癒やされる。 明日は今年17回目の薬剤噴霧をする。娘夫婦からプレゼントしてもらった電動式噴霧機で2回目の噴霧となる。以前のバッテリー式噴霧機の約12倍のパワーがあり、満足している。 さて、妻の父が死去して、今日で11日目となる。初七日を6月30日に終えて、次は二七日から六七日を超えて四十九日と初盆の法要をを8月のお盆前にに行うことにした。 義父を絶対に許せないと思っていたが、死去して実の娘の妻が涙したときに、私も赦す兆しとなっていた。 財産も葬祭費も残していなかったが、借金も残していなかった。ゴミになるような物はたくさんあるので、始末に当分、掛かりそうだ。 義父とは、義父の誘いでよく酒を飲み交わした。反対意見を言うと、たいへん荒れるので、ほぼ、同調する形で飲んでいた。良くない話が多かったが、まともな話もした。 義父は、私を自慢に思い、親戚や友達や近所へ、酒を飲みに訪ね、私を自慢していたと親戚や義父の友達から聞かされた。自慢話などせずに、訪問先で楽しく飲んでくれればよかったが、いつも飲みすぎて、私の自慢をしては、訪問先を見下したものの言い方をしていたようだ。大した私でもないのに、なぜ、そのようなことをしたのか、嫌われるとわかっていたのに。 義父は、いつも飲んでは、私に自分の妻と娘のことを最後まで見守ってほしいとよく言っていた。しかし、自分自身は、妻を心の病にし、義母を孤立とてんかん発作、アルツハイマー型認知症に追いやった義父が赦せない気持ちが強かった。義母は主人のことを忘れてしまいたい気持ちが強く、そのせいで、その他の全ても忘れるような道に入っていたのだと思う。 コロナ禍のため、一般的な葬儀が執り行えないため、葬儀費用は家族葬なので、安価で済ますことができそうだ。それでも四九日まで含めると総額で約60万円くらいがかかる。義父母には預貯金がなかったので、私がなけなしの貯金を取り崩して、やっと、今日までの支払いを済ませることごできた。 多額の生命保険や医療保険、死亡保険は、全く入っていなかったので、コロナ禍での葬儀でちょうどよかったのだ。 妻は心の病なので、家族葬にしたことで、ストレスはあまりかからなかったみたいだ。 人生はなるようにしかならず、それは本当に帳尻を天が合わせてくれるように感じた。 花と同様に、人間も死んでしまえば、骨となり土に帰る。 なぜ、人間は赦せないと思った人間を死去によって赦すことができるのか。多分それは、そのなくなった人が、完全な悪人ではなかったからだと思う。 葬儀が全部済んだ翌日に、近親の親戚に連絡をした。迷惑をかけられた叔父、叔母、甥、姪であったが、その日に駆けつけてくれた。とても有難いことである。 義父は、原爆被爆者であり、死去したら慰霊碑の名簿に載るように手配してほしいと私だけに伝えていたので、その手続きも勧めている。 残った問題は、義父母と絶縁状態になっている義姉に、墓の使用権相続を認めてもらうために、署名押印をもらうことである。義父母を姉と当時の夫の借金の連帯保証にして、大変な自体に陥らせた張本人である。そのため、私達夫婦が、大変な目にあった。義母からお金も騙し取り、親子断絶になったのだ。 その義姉に、私が墓の使用権相続のための相続手続きのため、お姉さんに連絡を取らないといけないのだ。それだけでも、十分なストレスである。 義父母の遺言により、義父の葬儀には呼ばなかったし、死去したことも連絡していない。 厄介な問題が残っているが、解決できるのは私だけだ。頑張ってやるしかない。 花のように、植物のように、ただ、淡々と進めていくだけ。 出来ることをやっていくのみ、そう、それだけなのである。
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天空のバラの五線譜
6月26日(土)、曇り時々雨。投稿写真はコンロンカ(別名ハンカチノキ)。 義父が6月24日に死去して、25日に通夜、26日に葬儀と火葬を執り行った。 この期間に私の心に浮かんで来た言葉は、「人間万事塞翁が馬」ということわざであった。 コロナ禍のため、ごく近所を除いて、葬儀の連絡をしたのは家族だけであった。子どもたちは大阪と鹿児島にいるので、忌引きを取って帰らないように連絡した。親戚や友人すらも訃報を連絡しなかった。 その結果、お通夜葬儀の参列は、私達夫婦と真向かいのご近所さん2軒だけに来ていただいた。 通常であれば、わが町の葬儀は、少なくても100人以上の参列者となる。それだけ、私も妻も義父母も、町内会の葬儀に参列していたので、普通のことなのだ。 でも、この度は、4人だけであった。これにお坊さんが通夜にお一人、葬儀にはお二人のお坊さんが来られた。 寂しい葬式であったが、その分、妻と義父の死を通して、共通認識を深める機会に恵まれた。 また、参列者一人一人にお礼の挨拶もほとんどなかったので、気疲れすることが最小限に抑えられた。 24日から26日までの義父の死体とゆっくり、向き合い、義父と心の対話ができた。お坊さんともじっくりとお話することもできた。 喪主の経験は、初めてであったが、本当に大変である。参列者としてと喪主としてとは、負担の大きさがとても違った。 満90歳69日で死去した義父は、波乱万丈の人生であり、家族や親戚に大いに迷惑をかけた人であるが、その一番の被害者である彼の次女にして私の妻が、永眠した実父を目の前にして涙を流したのであるから、それは赦しである。妻が赦せば私も赦すことができる。 そう思うと、私の実父より長く同居した義父との生活の中でよかったことを思い出すことができた。 お坊さんがお通夜のときのお話の中で、心に残った言葉がある。それは、「私は頑張って生きなさいとは言わない。ではどう言うか、それは、朝目覚めることができたことに感謝して、その日にしなくてはいけないことをできる範囲内で行うこと、と言う。やることが多すぎて大変だ、困った、などと不満を言っても仕方がない。出来ることをすればいいだけのこと。」という言葉である。 この言葉は、私達夫婦がこれから生きて行く中で、ストレスを和らげてくれる優しい言葉になったと思う。
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188
天空のバラの五線譜
クレマチス「フラウ・ミキコ」の2期目が咲き始めた。 本日、14時10分、義父が膀胱ガンで他界した。リンパ腺や肺にも転移があったが、痛みを訴えることもなく、穏やかな死であったそうだ。この月曜日に悪化したので、病棟を変えますと病院から連絡があり、その月曜日の11時に手続きをした。 ほぼ全身に転移をしつつあったようであるが、本人は痛みを訴えず、大丈夫だと昨日も言っていた、と担当医師、看護師から聞いた。 義父のアルコール依存症で苦しめられた妻であるが、安置室へ行き、顔に被せてあった白い美しい布を私が取ると、その肩に手を置いて、こう言った。 「お父さん、アルコール依存症でみんなに迷惑をかけなかったら、もっと沢山の人が見送ったのに。」と言って、涙が溢れ出ていた。それを見て私ももらい泣きをしていた。 義父の顔は、とても穏やかで生きているようであった。夕方には、浄土真宗の枕経をあげていただき、今後の日程について、相談した。 明日の夕刻にお通夜、明後日の午後1時にお葬儀、そのあと、火葬場へ行くことにした。 地元の普通の葬儀であれば、通常、100人以上が訪れるが、コロナ禍にあるので、地元にはごく近所にしか連絡しないことにしたので、ほとんどの人は知らないことになる。 義父の命を受けて、休みのときは、晩酌に付き合って来たが、妻が私もアルコール依存症になるのではないかと不安に思い、私に酒に付き合わないように求めたので、11年前から義父と酒を飲むことを止めていた。 その分、外へ向けて飲み歩き、親戚等に迷惑をかけていたようである。 妻との話し合いで、コロナ禍にあるので、夫婦とごく親しいご近所さんだけで、家族葬を行うことになった。 息子や娘には、コロナ禍にあるので、忌引帰省しなくてよいと伝えた。 義父がやりたいと思うことは、やり通していたので、家族と親戚には迷惑をかけたが、最後の4年を除いては、きっと悔いのない人生であったように思う。 介護保険老人施設に入所している義母は、入所前に義父が死んでも知らせてくれるなと言っていたので、知らせていない。 クレマチス「フラウ・ミキコ」よ、義父をその慈愛に満ちた紫色の光で、極楽浄土に導いてくれ。
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天空のバラの五線譜
春に咲いたバラが、45日前後が経過した後に、また咲き始めている。ゴールデン・セレブレーション、レディ・エマ・ハミルトン、カクテル、プリンセス・ドゥ・モナコなどである。 2階のバルコニーの前に作ったバラ棚には、たくさんのバラの蕾がついている。 息子との障壁もなくなり、ホッとしているところで、それをバラたちが祝ってくれているようである。息子は娘二人たちから父の日を祝ってもらうために、愛知県へ行ったようだ。 息子からビデオライン通話が届き、孫娘と私達夫婦が会話した。自分たちのパパに何をプレゼントしたかの報告があった。お手紙付きのプレゼントで、それを見せてくれた。 息子がそれで幸せなら、とても良いことである。きっと息子は喜んでいることであろう。 私は、我が家の庭のバラのためのバルコニーや簡易パーゴラを作ってくれた大先輩の仕事の助手を引き受け、明日で8日目となる。いよいよ明日で終わりである。ご近所さんのインターロッキングブロックによる小道作りである。 作り方を色々と学んだ。78歳の大先輩が、まだ現役で頑張っている姿に感動した。 私もやりたいところだが、妻の心の安定のためには、本格的に仕事をすることに妻が同意していないので、今は妻のそばにいることにしている。 先程まで、妻と一緒にNetflixの『ザ ラスト キンダム』を楽しんでいる。 とても穏やかな生活に感謝をしている。 義父の病状悪化の状況を担当医から詳しく説明を聞いた。もう、心構えもできて、どのようにするかも最善の方法を妻と取り決めた。
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天空のバラの五線譜
投稿写真のバラは、クローネンブルグ。2期目の花を咲かせている。 表弁は鮮やかな赤色、裏弁はクリーム黄色でそのコントラストが美しく、大きさは直径12センチ前後である。香りは微香でフルーツ香である。 名花ピースの枝変わり品種のようである。 さて、今日は朝早く起き、バラの剪定と誘引を1時間ほどして、その後、今年15回目の薬剤噴霧をした。チュウレンジハバチがシュートが成長しているすきに、卵を産み付けていた。 だから、展着剤は浸潤性のダインを使用した。薬剤はサンヨールとマラソンを使った。 今日は3週間ごとの妻と私の定期通院だったので、主治医に診療を受けた。今の所、夫婦共々安定しているようだ。 その後、義父のガンの転移状況を聞き、病棟変更に伴う必要書類への署名を行った。担当医の説明では、数ヶ月も余命はないということであった。酸素吸入とCVカテーテル挿入を本日からするとのことであった。 実の娘である妻は、その父のために心を病んだので、父の死が病からの解放の第一歩となる。妻にとって、良いお父さんであれば、きっと、深い悲しみに入るのであろう。 私の父も同様なので、深い悲しみには入りきれない。妻の気持ちがよくわかる。 義父を20年以上諌めてきたが、全く聞く耳を持っていなかった。 親の死が悲しみにならないことは、その人の不幸の象徴である。でも、私も同じ境遇であったので、その気持ちがよく理解できる。 義父のアルコール依存症は、我が息子にも多大に影響を及ぼした。とても許せることではない。その息子は、いま、やっと、立ち直りつつある。 昨日、息子と和解したことを、娘に電話で話した。とても喜んでいた。 昨日、正直に色々なことを息子が話してくれたので、コロナ禍が終わり、帰省したときは、規定量の酒を酌み交わそうと思う。 私や妻は、義父のことを許さないが、阿弥陀様が許されるので、それが義父の救いになると思う。 私と妻にできることは、できるだけガンの末期症状痛みを和らげでもらうことを担当医師にお願いするだけだ。 私と妻が他界するとき、子供たちから、心から悲しんでもらえるように、子どもたちをこれからも死ぬまで、愛していきたい。 でも、愛のあり方はとても難しい。ただわかることは、嘘をつかず、正直に心の内を話すことだと思っている。
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天空のバラの五線譜
5月9日に夏秋用として植え付けた、ベゴニア・センパフローレンス、インパチェンスが咲き誇りはじめた。 今日は、父の日と私の誕生日が重なった日。 息子と娘家族から、プレゼントが贈られてきた。息子は食品を、娘家族は設置型電気式噴霧器を贈ってくれた。 昨日は妻が、焼肉ランチをご馳走してくれて、今日はイタリア料理を食べに来ている。 さて、昨晩は息子から妻に電話があり、一時間ぐらいあとに、私が息子と1年2ヶ月ぶりに話すことになった。 なんと、話しは5時間半に及び電話を切ったのは午前3時38分だった。結果としては、私と息子にできた大きな障壁が取り除かれた。 話しの途中では、断絶が決定的になったと思われたが、息子の努力によって、土俵を降りることなく、徹底的に話した。 私の思い過ごし、不理解、また、息子の言葉の足りなさが原因であったが、断絶が回避できて、ホッとしている。 とくに妻がとても安堵の表情を今朝、浮かべていた。昨日は、話しの途中では、妻が寝入ったため、激しい口調で対立したところまでしか知らなかった。それで、朝、朝食のときに、その結果を私に聞いたのだ。 いま、ランチを済ませ、妻がもう帰宅しようと言うので、この投稿を行って帰宅することにする。 人生は、いつも想定外のことが多い。正直に生きていくとぶつかることが多いが、得るものも多い。
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天空のバラの五線譜
2021年6月12日(土)、雨。 ここ数日、雨が降るので、数日前に我家の庭で切り取って花瓶に生けました。 ブルー・ムーン、フロージン‘82、プリンセス・ヴェール、サハラ’98という名のバラからは、とても幸せな香りがこの2階の小さなダイニングルームを満たしてくれます。 毎日、四季咲きのバラや繰り返し咲きのバラが咲いてくれるので、毎日が幸せの匂いに包まれています。 今日も突然に妻からドライブコールがあったので、ヤナイ園芸まで行くことにしました。3割引セールがあったので、花苗を4つほど購入して帰りました。 そのドライブの往復では、妻に私の幼少からこれまでの人生について語りました。妻には、ほぼ正直に私の歩いてきた人生を話しています。 どんな家庭環境で育ち、どんな劣等感を持って幼少期を迎えたか、中1の1学期まで落ちこぼれていた私がどうして、勉強に前向きになり、勉強好きになり、向上心を持てたのか、また、どうして、高校2年生の時にぐれてヤケクソになったのか、どうして、女性に対して積極的になれなかったのか、なぜ、妻である君に惹かれ、結婚の決意に至ったのか、なぜ、38年間も真面目に積極的にハードに仕事ができたのか、などを語るのです。 小学1年生から中学1年1学期までの私は、家庭環境や交通事故による後遺症により劣等感の塊でした。 女の子に好意を持っても、自分からその気持ちを言い出せませんでした。 だから、自分は素敵な家庭環境を作り、そこで妻と子どもたちに尊敬される夫、父親になることが最大の夢でした。 息子とは悲しいことに溝ができてしまいました。娘家族とは楽しく幸せに過ごすことができています。 特に大切なのは、妻との関係がとても良好なことです。お互いが足りないことを補い合っているからだと思います。どんな小さなことでも、お互いに「ありがとう」という感謝の言葉を大切にして毎日、何度も言っています。 もし、5歳年下の妻が先に逝ってしまったら、きっと私は生きる力がなくなると思います。そのことを考えるととても怖くなります。 妻は、「お父さんは私が死んでもやりたいことが沢山あるので、きっと、楽しくやっていける。」と断言しますが、全くそうではありません。   すべての心を開いて、語り合えるのは妻だけなのです。妻も私だけだと言っています。 義父母が他界して、そのお世話をしたら、私の役目は、あとは夫として妻を愛するというつとめだけです。 もちろん、息子と娘のこと、それぞれの家族のことは気にかかりますが、教えることはほぼ教えてきたつもりです。あとは、子どもたち自身で人生を作っていくことだと思っています。 「老い」とは、悲しくて寂しいものですが、色々なことから解放されて、気持ちが楽になります。 これからの老いを友として、花と一緒にその咲かせる喜び、香る喜び、鑑賞する喜びで、その刹那を積み重ね、良い人生だったと思えるようにしたいと強く願っています。 五感が機能していることに感謝し、衰えるまでフル回転で楽しもうと思います。 きっと、同世代、それ以上の世代のみなさんも同じような気持ちなのでしょうね☺️☺️🤗🤗
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