① 投稿写真は、大幅改修中の我が家の東側と南側の小さな庭の風景。かなり、一年草や、多年草、球根類を整理した。4年前に始めた園芸は、妻の園芸療法として始めた。同じやるなら、私が好きなローズガーデンにしようと思い、作っていったが、花の種類を増やしすぎて、私自身が余裕がなくなったので、南側の第3パーゴラを作り変えて、バルコニーとさらに大きなパーゴラを作ったときに、バルコニーを作ってもらった先輩の一言で、整理する気持ちになった。花を整理・減少させることで、気持ちが楽になった。5月のバラの最盛期までに、整理を終える予定である。
② 今日は今年、3回目の薬剤噴霧を行った。バラの葉芽がすごい勢いで伸びて来ている。クレマチスの葉芽・花芽の成長もすごい。植物のたくましさに感動。そして、地植えにしたときの植物の成長ぶりに驚かされている。
③ バルコニーを作ってくれた先輩が、我が家の水道管を見て早めに改修しないと破裂しそうだと、床下の水道パイプの腐食を見て言った。それで、値交渉をして、地下60cmの穴掘りは、私がすることで部材代と僅かな技術料と労賃でやってもらうことにした。 実際に掘ってみると、これまでの2回の水回り改修で、大変複雑になっており、先輩には、本当に苦労かけてしまった。12歳上の先輩は、私にとっては、神様のような助けを出してくれるのである。とても、不思議なこと。赤穂浪士四十七士の一人を先祖に持つ人である。 どういう訳か、網戸の張替えを依頼したときにお茶の時間で色々と話をしてから、とても息が合い、可愛がってもらっている。 オブジェの塗装も、何ヶ月も置いていたのを見て、「その2つを私が持って帰って、サービスで色を吹いてあげよう」と言って、昨日、水道パイプの工事を3日かけて済ませて、お茶を飲んだあと、私が買い置きをしていたペンキを持って帰られた。
前回の投稿は、6日前の3月13日だった。この6日間には、色々なことがあり過ぎて、どこまで書き綴るかを考えていると、投稿できなかった。
一番、厄介な日が今日であった。だから、この日に想定されることをすべて考え抜いて、家族にとって最善の道を選んだつもりだ。
とても、とても、辛い決断であった。
大変なことは、最後に綴りたい。
簡単なことから、綴ろう。
① 投稿写真は、大幅改修中の我が家の東側と南側の小さな庭の風景。かなり、一年草や、多年草、球根類を整理した。4年前に始めた園芸は、妻の園芸療法として始めた。同じやるなら、私が好きなローズガーデンにしようと思い、作っていったが、花の種類を増やしすぎて、私自身が余裕がなくなったので、南側の第3パーゴラを作り変えて、バルコニーとさらに大きなパーゴラを作ったときに、バルコニーを作ってもらった先輩の一言で、整理する気持ちになった。花を整理・減少させることで、気持ちが楽になった。5月のバラの最盛期までに、整理を終える予定である。
② 今日は今年、3回目の薬剤噴霧を行った。バラの葉芽がすごい勢いで伸びて来ている。クレマチスの葉芽・花芽の成長もすごい。植物のたくましさに感動。そして、地植えにしたときの植物の成長ぶりに驚かされている。
③ バルコニーを作ってくれた先輩が、我が家の水道管を見て早めに改修しないと破裂しそうだと、床下の水道パイプの腐食を見て言った。それで、値交渉をして、地下60cmの穴掘りは、私がすることで部材代と僅かな技術料と労賃でやってもらうことにした。
実際に掘ってみると、これまでの2回の水回り改修で、大変複雑になっており、先輩には、本当に苦労かけてしまった。12歳上の先輩は、私にとっては、神様のような助けを出してくれるのである。とても、不思議なこと。赤穂浪士四十七士の一人を先祖に持つ人である。
どういう訳か、網戸の張替えを依頼したときにお茶の時間で色々と話をしてから、とても息が合い、可愛がってもらっている。
オブジェの塗装も、何ヶ月も置いていたのを見て、「その2つを私が持って帰って、サービスで色を吹いてあげよう」と言って、昨日、水道パイプの工事を3日かけて済ませて、お茶を飲んだあと、私が買い置きをしていたペンキを持って帰られた。
④ 自治会の班長が10年ぶりに回ってきて、以前、自治会長を行ったことから、この度は副会長を務めることになった。防災部長、集会所長、男女体育部長をまとめる役になった。
特に気になるのは、気候危機による避難行動である。私が20年前に自治会長になったときに作った連絡網が継続されていたので、とても良かったと思った。さらに誰かの工夫によって進化していた。
⑤ 3月15日(月)の定期通院治療時に、妻が担当医に実父が現在、膀胱がん手術後にリハビリで調子が良くなって、脱走してこの家に帰りお酒を飲むのではないかと思うと、胃が痛くなるし眠れなくなる、と言った。その前日にガン手術をした身だから、そんなことはできない、と言ったが心配の気持ちは収まらなかったようだ。
⑥ 今日3月19日(金)、午前9時、膀胱がんの術後の病理結果報告を聞いた。ステージ4の膀胱がんで、大きくなり過ぎて、全部取り除くことはできなかった。膀胱付近のリンパ節にも3箇所以上転移しており、肺にも転移が数カ所見られる。膀胱がんの細胞は悪性腫瘍であったので、ほかも全部悪性であろう。全部取り除くことは不可能で、化学療法、免疫療法も年齢を考えると効果は非常に小さい。本人とご家族が緩和ケアが良いと思われる。と言う説明を受けた。そして、10時に退院し、家族、親戚、近所のこと、そして、義父のアルコール依存症と認知症、坐骨骨折のリハビリを元の病院に戻るしか道がなかったので、元の病院に転院を了承してもらった。しかし、元の病院に戻ることを否定していた義父なので、どうすればよいかについて、色々と想定して、元の病院の担当医、看護師、介護士の方々と相談して、段取りをしていた。その過程も、とても辛いものであった。
義父を助けると、家族、親戚、近所が不幸になる。アルコール依存症とは、本当にひどい病気である。家族や親戚、近所に、とてもひどいダメージを与える。私自身も、妻や義母ほどではないがかなりのダメージを受けた。息子も被害者である。私は「人を助けることは己を救うこと」と思っているが、人とは善人であって、悪人ではない。悪人を救うのは阿弥陀様のお仕事である。だから、決して心を鬼にしたわけではない。悪人を野放しにしなかっただけのことである。
家に帰ってきたら、まず、妻の病状が悪化する、子供たち家族は帰省できなくなる、オムツ、トイレ、薬管理、食事作り、お風呂入れなど、全部、私の仕事になるが、もう、私自身、これ以上の負担は不可能と感じた。
認知症とアルコール依存症で入院していた病院のみなさんが全力を上げて助けてくれた。本当に有り難いことである。
⑥ 今日の退院と転院先の入院で助けてくれた送迎サービスの方と、コロナ検査で時間があったので、私の家族の話しをすると、「あなたのような不幸が折り重なるようにあるのは、私ははじめて見た。そして、それに耐えて、踏ん張れている人も初めて見た。あなたが倒れたら、すべて倒れるので、頑張ってください。感動した。」と言われた。私は「世界にはもっと不幸な人がいるし、この日本でも私のような境遇の人はいると思います。」と言うと、「しかし、私はあなたのように大変なことが何十にも折り重なっているのに踏ん張っている人を見たことがない。」と言われた。
私は、今日の日を迎える苦難と無事におさまる方法と実行を考えると、とても不安であった。
でも、その一日がやっと終わった。義父の余命は、すべての平均値から言うと、約2年と言われた。もう、30日も経たないで90歳になる。沢山の家族や縁者、友達を不幸にしてきたが、同じ年代ぐらいの人、少し若い人は、ほとんど、他界している。酒を飲みたいだけ飲み、人の悪口を言いたいだけ言い、人を病気にするほど迷惑をかけてきたのに、長生きできるのが本当に不思議である。天の神様は、一体、何を考えておられるのか、わからない。
繰り返しになるが、善人は助けるが、悪人を助けるのは私の仕事ではない。
そう思って行動しなければ、善人も助けられなくなる。
「人を助けることは己を救うこと、ただし、悪人は除く。」