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けいちゃん
「横丁の豆腐屋で、ラムネを買って、たまには豆腐も食ったもんだ。」 老人は、数歩先にある四つ角を杖先で差し示しながら細い路地裏に入っていった。 ビルの壁同士に挟まれた小さな路地だが、豆腐屋の面影は、どこにもなく、奥の雑木林から涼しい風だけが通り抜ける。 「豆腐屋にラムネが置いてあったのですか?」 私は立ち止まる老人の斜め後ろから彼と同じ景色を眺めながら訊いた。 老人は私の問いには答えず、「お稲荷さんも無くなってしまったなあ…」と小さく呟き、当時の景色を探すかのように、諸所に首を回した。 老人の記憶と共にコンクリートばかりの壁に、豆腐屋と稲荷祠が現れたのかもしれない。 老人は、「そこの丸椅子に座ってなぁ、店のばばあのくだらん説教を聞かされながらラムネを飲んだ」と少し楽しげに話しだした。 「ばばあは、よく(先生のいうことは、よう聞かんといかんぞ)と言うとった。わしは(きくときはきいとるぞ)と思いながら、なんで婆が、いっつも、それを言うのか不思議じゃった。」 老人が黙ったので、話は終わったのかと思い「昔の教員は聖職者と呼ばれてましたからね…」と言いかけたところで老人が話を続けた。 「なんら、ばばあの息子は教員やったんじゃ。息子の言うこと、よう聞けよ、言うとっただけの事やったんじゃ」 老人は、拍子抜けした調子で言った。 当時の感情を思い出したのか、しばらく老人は苦笑していた。 通り風がやんで、路地は一層静かな面持ちになり、無機質なビルの壁が聞き耳をたてているような錯覚に陥る。 私も老人の昔話を聞くのは好きなほうだ。 私は、ラムネと書かれた旗がたなびく豆腐屋の店先で坊主頭の小学生が、伸び切ったランニングの襟元を引っ張りながら、ラムネを飲み涼んでいる様子を思い浮かべた。 ニンテンドーだのプレステだのを知らない子供たちが、行き来するその場所は、古いようで新しく、新鮮に感じられた。 「そろそろ戻りましょうか」 私は散歩の時間が過ぎていることに気づき不本意ながら声をかけた。 「ばばあのその息子は戦死したんじゃと」 老人はコンクリート壁に向かって、杖で支えていない方の手を掲げて拝む仕草をした。 老人の追憶に、真新しいコンクリートの壁も私もハッと息をのむ。 老人は、私とコンクリート壁を置き去りにして、路地を出ていく。 ゆっくり杖をついて、何事もなかったかのように…。 そう、 何事もなかった。 狭い路地には風が吹き抜けるばかりだったし、戦後生まれのビル壁も今は、ひっそりと定位置に鎮座している。 そうだ、 何事もなかった。 私は老人のあとについて、明るい表通りに向かって歩いていった。
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